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マタイの福音書 マタイ20章

でも、それは不公平だよ

マタイの福音書20:1-16

私の個人的な意見ですが、もしかすると、このたとえ話はペテロに対するイエス様の反応だったのかもしれません。ペテロはこう言いました。

私たちはすべてを捨てて、あなたに従って来ました。それで、私たちは何をいただけるでしょうか。(マタイ19:27)

多分イエス様はこの話を通してペテロを励ますと同時に、警告を与えたいと思われたのかもしれません。

この話では、ある主人が自分のぶどう園で働く者たちを雇いました。最初に雇われた労働者たちは主人と賃金を交渉しました(一デナリは通常の一日の賃金でした)。

けれども、その後に雇われた労働者たちは具体的な賃金を交渉しませんでした。むしろ、主人はこう言いました。

あなたがたもぶどう園に行きなさい。相当の賃金を払うから。(マタイの福音書20:4)

夕方になると、主人は労働者たちに賃金を支払い始めました。彼は一番最後に雇われた人々に最初に支払い、一番最初に雇われた人々には最後に支払いました。主人は後に雇われた人々に一デナリを渡しました。

そのため、最初に雇われた人々が来たとき、彼らはもっと多く支払われるだろうと期待しました。ところが、主人は彼らにも一デナリを渡しました。その結果、彼らは不満を漏らしました。

それは当然の反応と言えるかもしれません。 一部の労働者はわずか一時間しか働かなかったのに、一デナリを受け取りました。 それなのに、丸一日働いた人々も同じく一デナリしか受け取らなかったのです。

しかし、次に注目してください。主人の答えはこうでした。

友よ、私はあなたに不当なことはしていません。あなたは私と、一デナリで同意したではありませんか。あなたの分を取って帰りなさい。私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。

自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私は気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。(13-15)

要するに、最初に雇われた労働者たちは騙されたとは言えません。彼らは交渉した賃金を正当に受け取ったのです。

それでは、なぜ彼らは怒ったのでしょうか。それは、主人が後に雇われた労働者に非常に気前よく振る舞ったからです。

イエス様が伝えたかったポイントは何でしょうか。

「私に従うことで何を得られるかを気にしてはいけません。また、自分が当然受け取るべきものに執着してもいけません。そして、自分自身を他の人々と比べることもやめなさい。

あなたがどれだけ犠牲を払ったか、他の人がどれだけ犠牲を払ったか、それを気にする必要はありません。あなたの報いは確実に与えられます。

けれども実は、神様は人にふさわしい報いを与えるよりも、ふさわしくない報いを喜んで与える方なのです。

もし、自分が当然受け取るべき報いだけに執着しすぎるならば、神様はそれを与えるかもしれませんが、それだけしか与えられないでしょう。

しかし、周りの人が何をしているかに気を取られず、自分が受け取るべき報いに執着しないのであれば、あなたは想像以上に神様からの祝福を受けることができるでしょう。」

どうでしょうか。あなたはいつも自分自身を他の人々と比べているでしょうか。あるいは、「どうして自分のほうが神様に仕えているのに、他の人々のほうが神様から祝福を受けているのだろうか」と疑問に思ったことはありませんか。

心に留めておきましょう。恵みとは、私たちが値するかどうかには全く関係のないものです。

恵みとは、私たちが神様からの報いに値しないにもかかわらず、神様が私たちに愛といつくしみを注いでくださることを指します。

実際、私たちに値するものは死です。なぜなら、私たち全員が罪を犯したからです。

ですから、自分が値するものについて過度に気にすることはやめましょう。

むしろ、自分が値しない恵みを受け取ったことに心から喜びましょう。つまり、永遠の命、喜び、平和、そして愛を豊かに受け取ったことを感謝しましょう。

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