この話では、ルカの言葉が私の心に深く響きます。
弟子たちには、これらのことが何一つ分からなかった。彼らにはこのことばが隠されていて、話されたことが理解できなかった。(ルカ18:34)
もちろん、「これらのこと」や「このことば」というのは、イエス様の死と復活を示しています。
ルカの言葉が私の心に深く響く理由は、イエス様が自分の死と復活について明確に語られたことです。弟子たちはその言葉を理解できたはずですが、それでも彼らは理解できませんでした。それはなぜでしょうか。
もしかすると、彼らはまだ霊的に成熟していなかったのかもしれません。多くの若いクリスチャンが聖書を読むとき、理解できないところが多いでしょう。けれども、私たちの信仰と知識が成長するにつれて、さらに理解が深まるでしょう。
あるいは、弟子たちには霊的成熟の問題だけではなく、イエス様の言葉を受け入れたくないという心の壁があったのかもしれません。イエス様がすぐに死ぬという現実を信じたくない彼らは、自分の耳を閉じてしまいました。
もう一つの理由は、彼らが神様の御心よりも自分たちの望みを優先していたことです。次の話の中でヤコブとヨハネの願いを見れば、彼らの自己中心的な姿勢が見えてきます。
しかし、どれほど私たち自身も同じような態度を取ってしまうでしょうか。聖書では神様の言葉がわかりやすく、神様が私たちの心にはっきりと語りかけてくださるにも関わらず、私たちはそのメッセージを見逃してしまうことがあります。
例えば、振り返ると、私がハワイに住んでいたとき、神様は私を日本に行くように呼ばれていました。何度も、「あなたは事務などの仕事には向いていない。ミニストリーをした方がいい」と言われました。
ある人々は率直に、「あなたは宣教師として日本に行くべきだ」と直接言われました。
けれども、当時の私はハワイを離れる気も、日本に行く気も全くありませんでした。
そのため、神様の言葉を受け入れることができませんでした。「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」という言葉を聞いても、「それは私のためではない」と思い込んでいました。
それでも神様は私の心に働き続け、数年後、日本に導かれました。そして、神様に従う喜びや、神様の言葉に従う喜びを経験することができました。
もし、あなたが心を神様に開けば、あなたもその喜びを知ることができるでしょう。
あなたの心は今、どんな状態でしょうか。神様があなたに語りかけておられるのに、その言葉を退けてはいませんか。それとも、その言葉に心を開いているでしょうか。
私たちはいつもこう祈りましょう。「主よ、お話しください。しもべは聞いております。」
