前回の記事で述べたように、イエス様は弟子たちにはっきりとご自分のミッションを説明されましたが、彼らはまだ理解していませんでした。
彼らは、なぜイエス様がこの世に来られたのか、また、間もなく訪れる試練について理解していませんでした。
もし彼らがそのことを正しく理解していたなら、おそらくヤコブとヨハネ(そして彼らの母親)は、イエス様にこの願いをしなかったでしょう。彼らは次のように頼みました。
あなたが栄光をお受けになるとき、一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにしてください。(マルコ10:37)
イエス様はその願いを聞いて、どのように感じられたでしょうか。その直前に、イエス様は彼らに「私はすぐに殺される」と語られたばかりでした。
それにもかかわらず、弟子たちは自分たちの地位のことを気にしていたのです。そこで、イエス様は彼らにこう言われました。
あなたがたは、自分が何を求めているのか分かっていません。私が飲む杯を飲み、私が受けるバプテスマを受けることができますか。(マルコt10:38)
つまり、「私の話を全然聞いていないのですか。私は死にます。あなたたちは私の右と左で死にたいと思うのですか」ということです。
それがイエス様が意味されたことでした。けれども、いつものように、ヤコブとヨハネはその言葉を完全に誤解しました。そのため、彼らは「できます」と答えたのです。
そこで、イエス様は彼らにこう言われました。
確かにあなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることになります。(39)
実際、その二人は後にイエス様のために大きな苦しみを経験しました。ヤコブは殉教し、ヨハネは追放されました。
それでも、イエス様は彼らにこう言われました。
しかし、わたしの右と左に座ることは、わたしが許すことではありません。それは備えられた人たちに与えられるのです。(40)
他の弟子たちはヤコブとヨハネの願いを聞くと、本当に怒りました。なぜでしょうか。ヤコブとヨハネがイエス様の感情を全く考えなかったからでしょうか。
いいえ、そうではありません。おそらく、彼ら自身がヤコブやヨハネよりも、自分たちのほうが資格があると思っていたからでしょう。
それでも、イエス様は彼らを集めて、こう言われました。
あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。
しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。
人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。(マルコ10:42-45)
要するに、イエス様はこう言われていました。
「あなたたちは自分自身の態度を変えなくてはなりません。
あなたたちは、私の王国においてどのような位置を持つかを心配しています。それは、偉い人が楽な人生を送るものだと思っているからです。あなたたちは、周りの人々に命令し、彼らがあなたたちに仕えるだろうと思っています。
けれども、私の王国では、それが偉い人ではありません。もしあなたたちが偉くなりたいのであれば、人々に仕えなければなりません。そして、もし先頭に立ちたいのであれば、皆のしもべにならなければなりません。
なぜなら、私は仕えられるために来たのではないからです。私は人々に仕えるために来たのです。さらに、私は彼らのために命を捧げるために来たのです。」
実際、私自身もそのような態度が必要です。私はしばしば自分自身を他の人々と比べたり、競争したりしてしまいます。けれども、ミニストリーにおいて、そのような態度は適切ではありません。私たちは仕える心が必要です。
この態度はミニストリーだけでなく、私たちの日常生活にも欠かせないものです。
職場では、私たちは同僚や顧客に仕えるべきです。
家庭では、夫たちは妻や子供に仕える心を持たなければなりません。
正直に言うと、この三つの場面において、私はよく失敗します。
それゆえ、ある古い英語の讃美歌が、私の祈りそのものです。
また、「The Witness」(目撃者)というクリスチャンのミュージカルの中で、ヤコブとヨハネは次のように歌いました。
Lord make me like you. Please make me like you.
主よ、私をあなたのように変えてください。
You are a servant. Make me one too.
あなたはしもべです。私もしもべとなれるようにしてください。
O Lord I am willing.
主よ、私の心は開いています。
Do what you must do to make me like you Lord.
あなたがしなければならないことをどうぞしてください、私があなたのようになれるように。
Make me like you.
あなたのように私を変えてください。
Whatever you do Lord, please make me like you.
何をされても、どうしても私をあなたのように変えてください。
