聖書の中で、これは最も切ない言葉の一つです。
しかし、それにもかかわらず、議員たちの中にもイエスを信じたものが多くいた。
ただ、会堂から追放されないように、パリサイ人たちを気にして、告白しなかった。彼らは、神からの栄誉よりも、人からの栄誉を愛したのである。(ヨハネの福音書12:42-43)
この箇所では、私たちは隠れた信者たちの存在を見ます。彼らはイエス様の奇跡を目の当たりにし、その教えを聞いて信じるようになりました。
それでも、彼らは誰にもそのことを打ち明けませんでした。なぜなら、会堂から追放されることを恐れていたからです。その文化において、会堂からの追放はユダヤ社会全体からの孤立を意味していました。
彼らの決断が示したのは、神様を喜ばせることよりも、周囲の人々の歓心を買うことを優先したということです。
もしサタンがあなたがクリスチャンになることを阻止できないなら、あなたが自分の信仰を周囲の人々に伝えることを妨げようとします。
どのようにしてそれを行うのでしょうか。サタンはあなたに問いかけます。 「もし周囲の人々に伝えたら、彼らはどう反応するだろうか。」
時には、その反応は明確です。あなたの友人や家族があなたを拒絶するかもしれません。議員たちもこの板挟みに直面していました。もしイエス様を信じると公言すれば、彼らは会堂から追放されることになるでしょう。
けれども、多くの場合、私たちは相手がどのように反応するか分かりません。それでも、悪い反応を恐れてしまいます。
私が中学生や高校生だった頃、私も同じように感じていました。高校2年生になるまで、私は自分がクリスチャンであることを友人に伝えませんでした。なぜなら、彼らの反応を恐れていたからです。
しかし、神様は私たちがそのように生きることを望んではおられません。神様は、私たちが周囲の人々に触れ、影響を与えることを望んでおられます。けれども、もし私たちが恐れに支配されるなら、それを実践することはできません。
私たちの信仰のゆえに、私たちを拒絶する人がいます。すべての人が私たちを愛するわけではありません。イエス様は完全な方であったのに、彼を憎む人がいました。
どうして私たちは違う反応を期待するべきでしょうか。
だからこそ、相手が私たちを拒絶することを心配しないでください。私たちの信仰を大胆に伝え、その結果を神様に委ねましょう。
イエス様の言葉を忘れずに心に留めましょう。
ですから、誰でも人々の前でわたしを認めるなら、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を知らないと言います。(マタイ10:32-33)
