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マタイの福音書 マタイ23章

抜け穴

マタイの福音書23:16-22

別の記事で、私は律法主義がなぜそんなに悪いのかについて話しました。

この箇所では、律法主義のもう一つの悪い点を見ることができます。律法主義では、人々は常に抜け穴を探し求めています。彼らは律法を文字通り守っていると思うかもしれませんが、その律法の精神をしばしば無視してしまいます。

パリサイ人たちや律法学者たちも、多くの抜け穴を見つけていたと考えられます。この箇所で、イエス様はその具体的な例を示されました。

律法によると、神様に何かを誓うなら、その誓いを誠実に守らなければなりませんでした。

しかし、パリサイ人たちや律法学者たちはその律法を解釈する際に、多くのくだらないルールを作り出しました。

例えば、もし神殿にかけて誓うのであれば、その誓いを守らなくてもよいとされました。その一方、神殿の黄金にかけて誓う場合は、その誓いを守らなければならないのです。

また、もし祭壇にかけて誓うのであれば、その誓いを守らなくてもよいとされました。一方で、祭壇の上のささげものにかけて誓う場合は、その誓いを守らなければなりません。

しかし、イエス様はそのルールの無意味さを明確に指摘されました。なぜなら、神殿によって黄金は聖なるものとなり、また祭壇によってそのささげものは聖なるものとなるからです。

そのため、イエス様は彼らにこう言われました。

「もし、あなたが神殿にかけて誓うなら、あなたはその神殿に住まわれる神にかけて誓うことになります。

また、もし天にかけて誓うなら、それは神の御座、そしてその御座に座しておられる神に誓うことになるのです。」

では、イエス様のポイントは何でしょうか。

正しいことをしなさい。

神様が「私の名にかけて誓うなら、その誓いを守りなさい」と言われたとき、神様は「私の名にかけずに誓うなら、その誓いを守らなくてもよい」という意味で言われたわけではありません。

もちろん、誓いを守ることは大切です。とはいえ、最も重要なのは真実を語ることです。もしあなたが何かをすると言うなら、それをしっかりと実行しなさい。

パリサイ人たちと律法学者たちは「神様に対する誓い」という言葉に過度に集中するあまり、「誓いを誠実に守りなさい」という原則を見逃してしまいました。

その結果、彼らは「ブヨをこして除いた」のです。(つまり、神様に対する誓いを定義するために、数多くの細かいルールを作り上げました。)

ところが、「らくだを飲み込んでしまいました」。(彼らは何度も自分の誓いを破るという重大な過ちを犯してしまいました。)(マタイ23:24)

では、あなたの場合はどうでしょうか。あなたは心から正しいことを行い、神様を喜ばせたいと願っていますか。

それとも、正しいことをすることを嫌がり、いつも抜け穴を探し回っているでしょうか。

もしあなたが抜け穴を見つけ、それを利用しようとするなら、神様を喜ばせることはできません。だからそのような態度を捨てましょう。むしろ、神様があなたに示されたことを忠実に行いましょう。

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