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いつも整えた心を持つ?

マタイ24:36-51;マルコ13:32-37;ルカ21:34-36

多くのクリスチャンは、イエス様がいつ戻られるかに関心を寄せています。そのため、イエス様が戻られる時期を予測しようとするクリスチャンも少なくありません。

私が高校生だった頃、ある本が出版されました。そのタイトルは「1988年にイエス様がきっとこの世に戻る88の兆候」でした。

もちろん、イエス様は1988年に戻られることはありませんでした。それでも、その著者はがっかりすることなく、さらに別の本を書き、再びイエス様の戻りを予測しました。

なぜでしょうか。その著者を含め、多くのクリスチャンはイエス様のお言葉を無視しているように思えます。

ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。父だけが知っておられます。(マルコ13:32)

神様はご自身の計画を立てられました。しかし神様は、私たちにイエス様がいつ戻られるかを教えてはくださいませんでした。

とはいえ、イエス様はご自身の戻りに関するしるしを示されました。そして私たちに対し、「目を覚ましなさい。自分の心を整えなさい」と警告されました。イエス様は次のように語られました。

気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。

それはちょうど、旅に出る人のようです。家を離れるとき、しもべたちそれぞれに、仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているように命じます。

ですから、目を覚ましていなさい。家の主人がいつ帰って来るのか、夕方なのか、夜中なのか、鶏の鳴くころなのか、明け方なのか、分からないからです。

主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見ることがないようにしなさい。

わたしがあなたがたに言っていることは、すべての人に言っているのです。目を覚ましていなさい。」(マルコ13:33-37)

残念なことですが、多くのクリスチャンはその言葉を無視しているようです。

前回の記事でも述べましたが、イエス様はこの箇所で同じことを四回繰り返されていますので、私も繰り返すべきだと感じます。

多くのクリスチャンは、イエス様がクリスチャンたちを集め、天国に連れていく時期を議論します。大きな患難の前にイエス様は私たちを集められるでしょうか。その患難の途中で集められるでしょうか。それとも、その患難の後に集められるのでしょうか。

私はその疑問が重要でないとは言いません。イエス様が戻られる時期を問うよりも、戻られた時に私たちの心が整えられているかどうかを問う方が重要です。もし、あなたの心が常に整えられているなら、イエス様がいつ戻られても驚くことはありません。

これがイエス様のポイントです。そのため、イエス様の戻りに関する細かい議論をする前に、自分自身に次の質問を投げかけてください。

「もしイエス様が今日戻られたなら、私の心は整えられているだろうか。私はイエス様の御心に従っているだろうか。もしイエス様が今日戻られたなら、イエス様は私に何を言われるだろうか。」

これこそが最も重要な質問です。

では、あなたの心はすでに整えられているでしょうか。

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