カテゴリー
ヨハネの福音書 ヨハネ14章

私たちが本当にイエス様を愛しているなら

ヨハネの福音書14:15-31

この箇所を読むと、多くの人々は驚くことでしょう。

イエス様はこう言われました。

もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。(ヨハネの福音書14:15)

少し考えてみてください。もし、あなたの恋人や夫、妻が「もし私を愛しているなら、あなたは私の戒めを守るはずです」と言ったら、あなたはどう反応するでしょうか。

多くの人々は「そんなの嫌だ」と答え、その人と絶交するかもしれません。

けれども、私たちのイエス様との関係について、次のことを心に留めておきましょう。

第一に、イエス様は私たちの救い主であるだけでなく、私たちの主でもあるということです。しかし、イエス様は、自分の歪んだ喜びのために私たちの人生を惨めなものにしようとされるのではありません。むしろ、イエス様は私たちを深く愛し、私たちの最善を望んでおられます。

さらに、イエス様は私たちの創造者であり、私たちの人生のデザインを完全にご存じです。そのため、イエス様の言葉に従うなら、私たちの人生は祝福され、うまくいくのです。

だからこそ、イエス様は「私の言葉に従いなさい」と命じるのではなく、こう言われます。「私を信じなさい。あなたが私を愛しているなら、私を信じなさい。私はあなたの最善を知り、それを心から願っているからです。」

残念ながら、私たちの経験では、多くの人々が「こうしなさい」「ああしなさい」と指示するとき、彼らは私たちの最善を求めているのではなく、自分自身の最善を求めています。

そのため、神様が「私を信じなさい。私はあなたの最善を求めている」と言われても、私たちはその言葉を疑ってしまいます。

これは新しい問題ではありません。エデンの時代にも、同じ問題が起こりました。神様はアダムとエバにこう言われました。

「私を信じなさい。私はあなたの最善を求めている。だから、善悪の知識の木の実を食べてはならない。あなたが悪を知れば、深く苦しむことになるから。」

けれども、サタンがエバを欺いたため、彼女は神様の意図を疑いました。

彼女はこう思いました。「神様は私の最善を望んでいないかもしれない。神様は私にこの良いものを与えてくださらないかもしれない。」

そして今もなお、多くの人々が同じように考えています。

もう一つのことを心に留めておきましょう。

私たちが罪を犯すと、神様は傷つかれます。神様は聖なるお方なので、罪をご覧になると深く悲しまれます。

あなたは本当に神様を愛しているでしょうか。神様を悲しませたいと思いますか。それとも、神様を喜ばせたいと願いますか。

少し考えてみてください。もしあなたが妻や夫を愛しているなら、わざとその人を傷つけるでしょうか。「私はこうすれば相手を傷つけると分かっているけど、気にしない」と言うでしょうか。

もちろん、そのような態度は取らないでしょう。むしろ、あなたは相手を喜ばせたいと思うはずです。

それと同じように、私たちは神様を愛するべきです。もし私たちが本当に神様を愛するなら、神様を悲しませるのではなく、神様を喜ばせたいと願うべきです。

イエス様はこの世で生きておられた間、まさにそのような態度を取られました。イエス様は天の父を愛し、信じておられたので、いつも天の父の言葉に従われました。そして十字架に至るまで、天の父の言葉に従われました。

なぜでしょうか。それは、イエス様が天の父は私たちの最善を求められることを信じておられたからです。

あなたはどうですか。あなたはイエス様の言葉に従うほどに、イエス様を信じるでしょうか。

コメントを残す