この箇所で、イエス様は非常に驚くべき約束をされます。
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。(ヨハネの福音書15:7)
このイエス様の言葉を読むと、多くの人々は「では、私が長者になるように祈ろう」と考えます。
しかし、イエス様の言葉を注意深く読んでください。「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら。。。」
前回の記事で、私はイエス様にとどまることについて話しました。それは、イエス様に信頼する人生を送ることです。つまり、私たちはイエス様が私たちの最善を知り、私たちの最善を求めておられることを信じるのです。
完全に神様に信頼する人は、お金に執着するでしょうか。それはありえないと思います。
お金や持ち物などの一時的なものを求めるのではなく、その人は何を追求するでしょうか。
その人は神様との関係を追求します。また、その人は神様の国のために、周りの人々に触れたいと思います。要するに、その人は神様のために実を結びたいと願うのです。
だから、イエス様は8節でこう言われました。
あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。(8)
私たちが何でも欲しいものを求めるという教えの文脈は、イエス様のために実を結ぶことです。
イエス様は続けて語られます。
あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため。。。(16a)
そう言った後、イエス様はもう一度語られます。
また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。(16b)
実を結ぶ方法のひとつは何でしょうか。他のどんなことよりも、イエス様はこのことを望まれます。
あなたがたが互いに愛し合うこと、わたしはこれを、あなたがたに命じます。(17)
こうすることで、私たちは周りの人々に神様の性格を示し、この世に触れることができます。そのようにして、私たちは実を結びます。それだけではなく、永遠に残る実を結ぶのです。
もし私たちが変えられた心を持つなら、つまり、一時的なものではなく永遠のものに焦点を当てる心を持つなら、神様は喜んで私たちの祈りをかなえてくださいます。なぜなら、私たちがさらに多くの実を結ぶからです。
あなたはどうですか。あなたはイエス様にとどまっているでしょうか。何よりもイエス様を喜ばせたいと思うでしょうか。イエス様に仕え、この世に触れたいと思うでしょうか。
それとも、一時的なものにまだ執着しているでしょうか。
あなたの心の状態はどうですか。
