「永遠のいのち」と聞くと、多くの人々は天国での永遠の幸せを思い浮かべます。もちろん、それは間違いではありません。けれども、不思議なことに、多くの人々は神様抜きの存在を想像してしまいます。
彼らは神様が天国におられることを理解しているかもしれません。とはいえ、天国では私たちは神様を真に知り、また神様に知られる存在であることについては、あまり考えようとしません。だから、この世にいる間も、まるで神様が存在しないかのように生きています。
これはノンクリスチャンだけの話ではありません。クリスチャンでさえ、そのように生きることがあります。
彼らは日曜日に教会へ行き、讃美歌を歌い、メッセージを聞きます。もしかしたら、平日でも時折聖書を読み、祈るかもしれません。けれども、それ以外の時間、彼らはまるで神様がおられないかのように日常を過ごしてしまいます。
仕事や家族、趣味は良いものですが、私たちはそれらに没頭しすぎて、神様との関係に十分な時間を投資しないことがあります。しかし、私たちの命、特に永遠の命は、神様との関係そのものなのです。
イエス様はこのように祈られました。
永遠のいのちとは、唯一の誠の神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。(ヨハネの福音書17:3)
もちろん、私たちは永遠に生きます。とはいえ、イエス様は「永遠のいのち」とは単に永遠に生きることではないと語られました。
確かに、天国では私たちは幸せになるでしょう。とはいえ、イエス様は「永遠のいのち」とは単に幸せな人生を送ることではないとも語られました。
むしろ、「永遠のいのち」とは、神様を知ることです。また、イエス様を知ることです。
「永遠のいのち」とは、単に天の父とイエス様について知識を得ることではありません。
「永遠のいのち」とは、天の父とイエス様を親しく知ることです。
イエス様はこのように祈られました。
彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。。。わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。。。
父よ。わたしに下さったものについてお願いします。わたしがいるところに、彼らもわたしとともにいるようにしてください。わたしの栄光を、彼らが見るためです。世界の基が据えられる前からわたしを愛されたゆえに、あなたがわたしに下さった栄光を。。。
わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるようにするためです。(21,23,24,26)
だから、私たちの人生の目的は神様を知ることです。
私たちの人生の目的は、神様に近づき、親しく知り、また神様に親しく知られることです。
つまり、永遠の命はただの未来の話ではありません。永遠の命は、今この瞬間から始まるのです。イエス様によれば、今もなおイエス様は天の父を現し、これからも現し続けてくださいます。
だから、私たちが天国に行くと、新しいことを始めるわけではありません。むしろ、天国は私たちがこの世で始めたことの続きなのです。
もしあなたが天国に着いたとき、まだ神様とただの知り合い程度の関係しかないなら、それはとても残念なことではありませんか。もし天国に着いたとき、あなたが神様をほとんど知らないなら、それは何とも惜しいことではありませんか。
この世で神様と親しい関係を築くなら、天国に着いたとき、どれほどの喜びを感じるでしょうか。
もしこの世で、毎日神様と話し、神様の声を聞き、人生の中で神様の働きを見て、さらに神様があなたを通して周りの人々に触れられることを目の当たりにするなら、やがて神様の御顔を仰ぐとき、どれほどの幸せに満たされるでしょうか。
私はそのような喜びを心から知りたいのです。毎日そのように生きているわけではないかもしれませんが、それでもそのように生きていきたいと願っています。
あなたはどうなのですか。
