クリスチャンたちは本当に、イエス様が私たちに対して抱かれる望みを理解しているでしょうか。
以前の記事では、イエス様が私たちとの親しい関係を望まれていることを見ました。永遠の命とは、イエス様に近づき、イエス様を知り、イエス様に知られることです。
けれども、イエス様はそれだけではなく、他にも望まれることがあります。イエス様は、私たちが兄弟姉妹と共に一つとなることを望んでおられます。
イエス様はこのように祈られました。
わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。
父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。
またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。(ヨハネの福音書17:20-23)
イエス様は、私たちがイエス様と天の父のような関係を持つことを望まれます。イエス様と天の父が一つであるように、私たちも一つとなるべきです。
とはいえ、それはどういう意味なのでしょうか。
一つの意味は、目的の一致です。私たちが同じ目的を持ち、共に働くことです。その目的とは、福音を伝えることにほかなりません。
もう一つの意味は、互いに相手を自分より優れた者と考えることです。私たちは自分のことだけでなく、他の人のことも顧みます。(ピリピ2:3-4)
しかし、多くの場合、私たちはそのように生きていません。
そのため、ノンクリスチャンが私たちの教会に足を踏み入れると、そこには争いがあり、苦々しい心が見られることがあります。彼らはそのようなものを教会の外でも目にすることができるため、落胆し、すぐに教会を離れてしまいます。
それでも、当の教会の人々は自分のことで精いっぱいで、何が起こったのか気づいていないかもしれません。
イエス様は、それをご覧になると、深く悲しまれるのです。
周りの人々に対するあなたの行動や態度によって、どれほどイエス様を悲しませているでしょうか。あなたの苦々しい思いや、恨み、陰口を持つ心によって、イエス様はどれほど嘆かれるでしょうか。
その結果、イエス様だけでなく、私たち自身も苦しむことになります。
さらに、ノンクリスチャンは暗闇の中でつまずき続けます。なぜなら、彼らは教会の中に光がないと感じるからです。
あなたはどうでしょうか。あなたと他の教会のメンバーは、本当に一つとなっているでしょうか。
