この箇所では、私たちはイエス様に対するヘロデの反応を見ることができます。
しかし、より正確に言えば、私たちはヘロデに対するイエス様の反応を見ることができるのです。
このヘロデは、バプテスマのヨハネを殺害しました。そして、彼がイエス様のことを初めて聞いた時、イエス様が実はよみがえったヨハネではないかと疑問に思いました。(マタイ14:12; ルカ9:7-9)
そのため、ヘロデはイエス様に会いたいと思いました。一方で、パリサイ人によれば、ヘロデはイエス様を捕まえたいとも考えていました。(ルカ13:31-33)
しかし、この物語では、ついにヘロデはイエス様に会うことができました。彼はイエス様に奇跡を行うよう頼んだり、さまざまな質問を投げかけたりしましたが、イエス様は何もお答えになりませんでした。
なぜでしょうか。おそらく、イエス様はヘロデが何を聞いても、イエス様を信じず、従わないことを知っていたからでしょう。
ヘロデは、かつて何度もバプテスマのヨハネの言葉を聞き、「非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた」にもかかわらず、悔い改めることはありませんでした。(マルコ6:20)
ヘロデはイエス様に対しても同じ態度を取りました。ヘロデにとって、イエス様は興味深い存在であったかもしれません。もしかしたら、イエス様が何か奇跡を披露してくれると期待していたのかもしれません。
けれども、ヘロデはイエス様を重んじることはなく、イエス様に従う意思も全くありませんでした。そのため、イエス様は何もお答えになりませんでした。
この物語は私たちへの警告です。もし私たちがイエス様に対して頑なな心を持っているならば、イエス様は私たちに語りかけることをおやめになるかもしれません。
イエス様は、私たちの願望を叶えるためだけの存在ではありません。私たちは、イエス様を軽んじてはなりません。
イエス様は私たちの神です。
イエス様は私たちの王です。
イエス様は私たちの主です。
あなたはどうでしょうか。あなたはイエス様をどのように考えますか。
