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ヨハネの福音書 ヨハネ19章

あなたの王は誰でしょうか

ヨハネの福音書19:14-19

ピラトと祭司長たちの会話を見てみると、聖書の物語の中でも最も皮肉な場面の一つが描かれています。

ピラトは神様をまったく知らなかったにもかかわらず、祭司長たちや他のユダヤ人に向かって叫びました。「見よ。お前たちの王だ。」

ピラトの言葉は、まさに真実でした。イエス様はユダヤ人の王だったのです。

しかし、神をよく知っているはずの祭司長たちはこう主張しました。「カエサルのほかには、私たちに王はありません。」

本来、「カエサルのほかには、私たちに王はない」と言うべき立場だったピラト。ところが、彼が「イエス様は王だ」と宣言したのです。

その反面、「イエス様は王」と言うべきだったユダヤ人たちは、むしろ「カエサルは王だ」と言い張りました。

祭司長がそう信じていなかったとしても、彼らは「神こそ王だ」と宣言すべきでした。しかし、怒りに駆られた彼らは、何も考えずに「カエサルは王だ」と叫んでしまったのです。

では、あなたはどうでしょうか。あなたの王は誰ですか。

祭司長とは違い、「イエス様は王だ」と言うかもしれません。けれども、あなたの行動はその言葉と一致しているでしょうか。

もしかすると、周りの人々はあなたの行動を見て、「あなたの王は会社だ」と言うかもしれません。なぜなら、仕事が最も大切だからです。

あるいは、「あなたの王は家族だ」と言われるでしょうか。

もしくは、「あなたの王は趣味だ」と言われるでしょうか。

日本では、最も大きな「神」として君臨しているのは、文化という存在かもしれません。

多くのクリスチャンにとっても、文化は王のように支配しています。

日本の文化に従うプレッシャーは非常に強く、だからこそ、人々は家族の平和を守るために、自分の信仰を妥協してしまうことがあります。

また、自分のキャリアを守るために、教会へ行くことをやめてしまう人もいます。

もし誰かがあなたの人生を見て、「これがあなたの神だ」と言ったら、それは何を指すでしょうか。

それはあなたの仕事でしょうか。

それとも、文化でしょうか。

あるいは、あなた自身でしょうか。

もしかすると、神を指すでしょうか。

もっと重要なのは、あなたの答えです。もしあなた自身の人生を振り返ったとき、あなたは正直に「神こそが私の神だ」と言えるでしょうか。

もしかすると、別のものを指すべきなのかもしれません。

あなたの王は誰でしょうか。

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