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マタイの福音書 マタイ28章

信じようとしない人?

マタイの福音書28:11-15

私は祭司長たちとパリサイ人たちの頑なな心に驚きを禁じ得ません。

彼らはイエス様のお墓を警備するために対策を練りましたが、そのお墓は空っぽになりました。結局、彼らはその事実を認めざるを得ませんでした。

彼らは番兵たちの話を通して、地震と天使の存在を知りました。

さらに、彼らはおそらく、ほかの復活した人々についても聞いたことでしょう。(マタイ27:52-53)

それでもなお、その証拠を目の当たりにしながらも、彼らはイエス様がキリストであることを信じませんでした。

そのため、弟子たちがイエス様の遺体を盗んだという噂を広めるために、彼らは番兵たちにお金を渡しました。律法を厳格に守ることで自分を誇る人々であったにもかかわらず、彼らはこのような嘘を広めたのです。

この行為を通じて、彼らはイエス様の言葉の真実性を証明することになりました。ラザロのたとえ話で、イエス様はこう言われました。

モーセと預言者たちに耳を傾けないのなら、たとえ、誰が死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。(ルカ16:31)

イエス様とほかのユダヤ人たちがよみがえられたにもかかわらず、パリサイ人たちや祭司長たちはどうしても信じようとしませんでした。

今でも同じような人々がいます。あなたが神様の存在を示し、聖書やイエス様について彼らの疑問に答えたとしても、彼らは信じないかもしれません。

さらに、彼らは自分では説明できない事実を目撃することがあるでしょう。例えば、彼らがクリスチャンの知り合いのがんが癒される様子を目にするかもしれません。それでもなお、彼らはどうしても信じようとしません。

最終的に、イエス様を信じない人々がいます。彼らは信じることができないわけではありません。ただ、信じたくないのです。そして、神様が彼らに恵みを与えてくださらなければ、彼らは決して信じないでしょう。

では、私が言いたいことは何でしょうか。

祈り続けましょう。神様だけが彼らの目を開けることができるのです。パウロはこう語りました。

それでもなお私たちの福音に覆いがかかっているとしたら、それは、滅び行く人々に対して覆いがかかっていると言うことです。

彼らの場合は、この世の神が(つまり、サタン)、信じない者たちの思いを暗くし、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を、輝かせないようにしているのです。(第二コリント4:3-4)

それでは、私たちは何を祈るべきでしょうか。それは、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、神様が彼らの心を照らしてくださるように祈るべきです。(第二コリント4:6)

実際、パウロ自身もそのようにして救われました。彼は霊的に盲目で、真理を拒んでいましたが、神様は文字通りにも、また比喩的にも、光をパウロに照らしてくださいました。その光によって、パウロの人生は完全に変えられました。

愛する人々の頑なな心を見て、失望を感じていませんか。あなたがどれほど何かを言ったり、行ったりしても、彼らの心を変えることはできません。けれども、神様にはその力があります。

だから、どうか諦めないでください。祈り続けましょう。熱心に祈りましょう。そして、神様の恵みによって、彼らが救われる可能性を信じましょう。

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