バルナバはとても素晴らしい人でした。使徒の働き4章では、彼は自分の土地を売り、その代金を教会に捧げて貧しい人々を助けました。
そして、9章では、使徒たちや他のクリスチャンたちがサウロを疑い、恐れていたとき、バルナバは彼を支持しました。
さらに、この箇所では、バルナバは異邦人たちに働きかけ始めました。クリスチャンたちが異邦人の間で実を結び始めると、使徒たちはバルナバを彼らのもとへ遣わしました。
そして、23節にはこう書かれています。
バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。(使徒の働き11:23)
その後、バルナバはサウロを呼び、アンティオキアの信者たちに仕えました。(その場所で、信者たちは初めて「クリスチャン」と呼ばれました。)
そして、大飢饉が起こるという預言を聞くと、バルナバとサウロはアンティオキアで救援物資を募り、それをエルサレムへ持ち帰り、そこで苦しんでいるクリスチャンたちを助けました。
しかし、24節の言葉は私の心に深く響きます。
(バルナバ)は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。(24)
私もそんな人になりたいと思います。立派な人になりたいです。
前にも言いましたが、「バルナバ」とは彼のニックネームでした。本名はヨセフでした。けれども、彼は皆に愛され、「バルナバ」、つまり「慰めの子」と呼ばれるようになりました。
なぜバルナバはそのような生き方をしたのでしょうか。それは、彼が聖霊と信仰に満ちていた人だったからです。
彼は聖霊に満たされ、豊かな実を結びました。彼の心から愛が溢れました。
他の人々がある人を信じなくても、バルナバはその人を信じました。彼は惜しみなく自分の財産や時間を人々に与えました。さらに、彼の言葉によって、多くの人々が励まされました。
バルナバの信仰は、ただイエス様を信じるだけではありませんでした。その信仰は彼の人生のすべてに浸透し、周りの人々にも影響を与えました。
その結果は?
こうして、大勢の人たちが主に導かれた。(24b)
私はそのことを強く望みます。人々が私の人生を見て、イエス様に魅了されるほどに、私は聖霊と信仰に満ちた人になりたいと思います。
「私の信仰は個人的なものだから、あまり話さない」と言う人もいます。
ある人は、聖霊に満ちることをただ自分の益のためだと考えています。彼らは祝福を受けたいと思っているのです。
しかし、もし私たちが本当に聖霊と信仰に満ちているなら、私たちの人生は完全に変わります。
私たちの考え方が変わります。
私たちの生き方が変わります。
神様の愛が私たちを通して流れ、人々に触れることで、彼らは神様に魅了されます。
あなたはどうでしょうか。あなたは聖霊と信仰に満ちているでしょうか。
