パウロはエペソの人々にこう語りました。
ですから、今日この日、あなたがたに宣言します。
私は、だれの血に対しても責任がありません。私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです。(使徒の働き20:26-27)
「神のご計画のすべて」とは、一体どういうことでしょうか。
この箇所では、パウロの言葉の意味を知ることができます。パウロはローマの総督フェリクスの前に立ち、ユダヤ人たちの言いがかりを否定しました。
その日、フェリクスは何も決断しませんでした。けれども、その後、彼は何度もパウロと話しました。その時、パウロは自らの信仰について語りました。
もちろん、パウロは神様の愛やイエス様の十字架の働き、そして信仰による救いについて話したことでしょう。しかし、パウロはもう一つの重要なことについても語りました。
パウロが正義と節制と来るべきさばきについて論じた。。。(使徒の働き24:25a)
つまり、パウロはこう語りました。「神様の目にあなたは罪人です。悔い改めなければ、あなたは必ず裁かれます。」
フェリクスはどのように反応したでしょうか。
フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする。」と言った。(25b)
福音とは、ただ「神様はあなたを愛している」というメッセージではありません。
福音は次のようにも語ります。
「深刻な問題があります。あなたは罪を犯しました。そのため、神様はあなたを裁かれます。だから、イエス様に向かって悔い改めなさい。まだ時間があるうちに、イエス様とその十字架の御業を信じなさい。」
もし私たちがこのことを伝えないなら、神様の計画のすべてを知らせていないことになります。そして、彼らが地獄へ行ってしまったなら、その血に対する責任は私たちにあるのです。
もちろん、私たちの目的はただ彼らを怖がらせることではありません。
福音は「良い知らせ」です。つまり、イエス様が十字架で私たちの罰を受けられたため、イエス様を受け入れるなら、私たちは地獄に行く必要はありません。
それだけではなく、イエス様は私たちに豊かな人生を与えてくださり、神様の喜びと平和を知ることができます。
地獄の恐れよりも、私たちはこの素晴らしい恵みにフォーカスすべきだと思います。
それでも、私たちは彼らに警告するべきです。「もしイエス様を拒絶するなら、あなたは必ず裁かれます。」
フェリクスのように、それを聞いて恐れてしまう人もいるでしょう。彼らは「今はそのことについて話したくない」と言うかもしれません。しかし、彼らの反応は私たちの責任ではありません。
私たちができることは、忠実に神様のメッセージを伝えることだけです。
あなたはどうでしょうか。あなたは神様の計画のすべてを人々に伝えていますか。
