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ローマ人への手紙

プライドを持ち、恵みを軽んじる?

ローマ人への手紙2:1-11

神様の恵みは、何にも代えがたいほど素晴らしいものです。しかし、私たちは恵みに対して、決して取るべきではない二つの態度があります。この箇所で、その二つの態度が示されています。

一つ目の態度は、プライドです。つまり、人々はこう思います。「私は神様の恵みなんて必要ない。私はすでに良い人だから。その一方、私の周りの人たちは…」

パウロは、このような態度について、こう語っています。

ですから、すべて他人をさばく者よ、あなたに弁解の余地はありません。あなたは他人をさばくことで、自分自身にさばきを下しています。さばくあなたが同じことを行っているからです。

そのようなことを行う者たちの上に、真理に基づいて神のさばきが下ることを、私たちは知っています。

そのようなことを行う者たちをさばきながら、同じことを行っている者よ、あなたは神のさばきを免れるとでも思っているのですか。(ローマ人への手紙2:1-3)

ある人々は、いつも周りの人々を裁き、相手を悪い人と決めつけます。しかし同時に、自分自身の罪や欠点には目を向けようとしません。

彼らはプライドを持ち、「あいつは絶対にダメな人だけど、私は大丈夫だ」と思います。

けれども、パウロは彼らにこう言います。「あなたも同じことをしている。どうしてあなたは相手を裁くのですか。」

例えば、私たちは相手のことを頑固だと思います。しかし、実際に彼らと話すと、私たち自身も頑固になっていることに気づくかもしれません。

また、ニュース番組で私たちは殺人犯を見て、恐ろしいと思います。だから、彼らが厳しく罰されることを願います。

しかし、もし友達や知り合いが私たちを傷つけたらどうでしょうか。私たちは縁を切り、心の中で彼らを「殺してしまう」のです。(マタイ5:21-22)

だから、パウロは私たちにこう言います。

「あなたは相手を裁く権利を持っていません。あなたも同じことをしているのだから。あなたも神様の恵みを必要としています。その恵みを受けなければ、あなたは裁かれることになるのです。」

けれども、パウロはもう一つの問題についても語ります。ある人々は、神様の恵みを軽んじます。つまり、彼らはこう考えます。

「神様は私を赦してくれるのだから、私は好き勝手にして、あとで神様に謝ればいい。」

パウロはそのような人々にこう言います。

それとも、神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かないつくしみと忍耐と寛容を軽んじているのですか。(ローマ人への手紙2:4)

つまり、神様の恵みの目的は、私たちが罪にふけることではありません。その目的は、私たちが罪を悔い改め、その罪を捨てることです。

けれども、多くの人々は恵みを軽んじ、自分の罪にふけり、結果として神様や周りの人々を傷つけてしまいます。

だから、パウロはプライドを持つ人や、恵みを軽んじる人にこう語ります。

あなたは、頑なで悔い改める心がないために、神の正しいさばきが現れる御怒りの日の怒りを、自分のために蓄えています。神は、一人ひとり、その人の行いに応じて報いられます。

忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと朽ちないものを求める者には、永遠のいのちを与え、利己的な思いから真理に従わず、不義に従う者には、怒りと憤りを下されます。

悪を行うすべての者の上には、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、苦難と苦悩が下り、善を行うすべての者には、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。神にはえこひいきがないからです。(5-11)

つまり、そのような態度を持てば、あなたも必ず裁かれることになります。

もし、プライドを持ち、「神様の恵みなんて必要ない」と思い、周りの人々を裁くなら、私たちの罪は暴かれ、私たち自身が裁かれてしまいます。

また、神様の恵みを軽んじ、罪にふけるなら、私たちは裁きを受けることになります。

あなたはどうでしょうか。

神様の恵みは必要ないと思いますか。

それとも、神様の恵みを軽んじていますか。

そのような態度は裁きにつながります。だからこそ、謙遜を持ち、私たちが恵みを必要としていることを認め、神様の愛と恵みに目を向け、驚きましょう。

神の国には、プライドや恵みを軽んじる余地はありません。

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