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ローマ人への手紙

神様の忍耐と義

ローマ人への手紙3:25-28

この箇所でパウロは、イエス様の十字架の働きの前に生きていた人々について、とても興味深いことを語っています。

パウロはこう言いました。

神はこの方(つまり、イエス様)を信仰によって受けるべき、血による宥めのささげものとして公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。

神は、忍耐を持って、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。

すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを示すため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。(ローマ人への手紙3:25-26)

この箇所でパウロは、神様の義について語っています。パウロが伝えているのは、イエス様が十字架で死ぬ前に、神様が人々の罪を見逃すことで、ご自身の義を明らかにされた、ということです。

それはどういう意味でしょうか。イエス様が十字架で死ぬ前に、すべての人々は救われたのでしょうか。

違います。パウロは何度もはっきりと教えています。人々は信仰によって救われるのです。パウロは28節でそう語っています。

人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると、私たちは教えているからです。(28)

そして、4章でパウロはアブラハムを指して、「アブラハムも信仰によって救われた」と語っています。

すなわち、神様を信じない人々は救われず、むしろ裁かれました。

けれども、アブラハム、モーセ、ダビデ、そしてその他の旧約聖書の信者たちには問題がありました。彼らは犠牲を捧げましたが、その犠牲には本当に罪を清める力はありませんでした。むしろ、それらの犠牲は、イエス様の将来の犠牲を象徴していました。

(へブル人への手紙を解説するときに、私はさらに具体的に説明します。)

彼らは神様を信じていましたが、イエス様がまだ彼らの罪のために死んでいなかったため、神様が彼らを罰することは不公平だったでしょう。

彼らは神様がメシア(救い主)を送ることを信じました。そのため、神様はその信仰を受け入れ、彼らを義人と見なし、彼らが受けるべき罰を猶予されました。

そして、イエス様が十字架にかけられたとき、神様はアブラハム、ダビデ、そしてその他の旧約聖書の信者たちの罪をイエス様の上に置かれました。その時、イエス様は彼らの罰を受けました。

その結果、彼らの罪は赦され、イエス様がよみがえられた後、彼らはイエス様と共に天国に行ったのです。

神様は私たちに対しても、忍耐と義を示されています。

私たちは皆、罪を犯しました。神様はすぐに私たちを滅ぼす権利を持っていましたが、むしろ忍耐を示されました。

神様は私たちの心に働きかけ、私たちの心をイエス様のために整えてくださいました。そして、私たちが神様を信じたとき、神様は私たちの罪を清めてくださいました。

とはいえ、神様の赦しを誤解しないでください。神様はただ、「あなたが悪いことをしたけれど、私は優しいからその罪を赦してあげる」と言ったわけではありません。

むしろ、神様はこう言われました。「あなたの罪は深刻なものでした。その罪のために、代価が支払われなければなりませんでした。正義が行われなければなりません。

しかし、イエスがその代価を支払ったので、正義は成し遂げられました。そして、あなたがその十字架の働きを信じたので、その信仰によって、あなたは救われました。」

もし、あなたがまだクリスチャンでないなら、覚えていてください。神様は忍耐強い神です。けれども、神様は義の神でもあります。神様は忍耐を示し、あなたの反応を待っています。それでも、神様は永遠に待つわけではありません。

もし神様の恵みを受け入れないなら、あなたは神様の義の裁きを受けることになります。だから、ためらわないでください。まだ時間がある間に、その恵みを受けてください。

パウロはこう言いました。

見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。(第二コリント6:2)

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