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ローマ人への手紙

良い伝染

ローマ人への手紙5:15-21

「良い伝染」という表現を作ったと言いたいところですが、実はC.S.ルイスがこの表現を生み出しました。

(もし、ルイスの『キリスト教の精髄』をまだ読んでいないなら、ぜひおすすめします。)

さて、昨日私たちは「悪い伝染」について話しました。つまり、アダムを通して私たち皆に罪が伝染しました。

私たちは自分の罪によって罪人になるのではなく、罪人として生まれたために罪を犯すのです。

けれども、イエス様を通して良い伝染がもたらされます。パウロはこう書きました。

しかし、恵みの賜物は違反の場合と違います。

もし一人の違反によって多くの人が死んだのなら、神の恵みと、一人の人イエス・キリストの恵みによる賜物は、なおいっそう、多くの人に満ちあふれるのです。

また賜物は、一人の人が罪を犯した結果とは違います。

さばきの場合は、一つの違反から不義に定められましたが、恵みの場合は、多くの違反が義と認められるからです。

もし一人の違反により、一人によって死が支配するようになったのなら、なおさらのこと、恵みと義の賜物をあふれるばかり受けている人たちは、一人の人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するようになるのです。

こういうわけで、ちょうど一人の違反によってすべての人が不義に定められたのと同様に、一人の義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられます。

すなわち、ちょうど一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、一人の従順によって多くの人が義人とされるのです。(ローマ人への手紙5:15-19)

要するに、アダムを通して罪が伝染したため、多くの人々が死にました。しかし、イエス様を通して恵みと義が伝染したため、イエス様を受け入れた人々は永遠の命を受けます。

言い換えると、アダムを通して罪が私たちに伝染し、私たちが裁かれたように、イエス様を通して義が私たちに伝染したため、私たちは義と認められました。

さらに、その良い伝染を通して、私たちはまったく別の人になりました。

けれども、幸いなことに私たちはゾンビにはなりません。むしろ、私たちは新しい本性を受けます。つまり、私たちは義人の本性を受けるのです。

だからクリスチャンは、自分の良い行いによって義人になるわけではありません。むしろ、イエス様にあって私たちが義人とされたため、自然に良いことをし始めます。

だから、パウロはこう書きました。

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。

古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(第二コリント5:17)

要するに、イエス様にあって、私たちは真に生き始めます。

私たちを通して、周りの人々にも神様の義が伝染するように。そうすれば、彼らも真に生き始めます。

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