カテゴリー
ローマ人への手紙

破れた力

ローマ人への手紙7章

この箇所を初めて読んだとき、私は本当に混乱しました。というのも、パウロは自分のポイントを説明するために、結婚の比喩を用いました。けれども、パウロは結婚の比喩をちぐはぐな形で用いています。

つまり、パウロは私たちと律法との関係や、私たちと神様との関係について語る際に、結婚の比喩を用いたのです。

その比喩では、ある男性が亡くなったことで、結婚の律法は妻に対してもはや効力を持たなくなりました。

つまり、その律法によれば、夫が生きている間、彼女は別の人と結婚することができませんでした。しかし、彼が亡くなると、彼女は別の人と結婚することができたのです。

そこで、私はこう考えました。

「この比喩では、夫は誰なのか。妻は誰なのか。

パウロによれば、私たちは律法に対して死にました。ということは、私たちが夫で律法が妻なのだろうか。

いや、違う。なぜなら、この比喩では、夫が死ぬと妻は別の人(つまりキリスト)と結婚できる。

もしそうなら、律法がキリストと結婚することになるのか?それはナンセンスです。

さらに、パウロが言っているのは、私たちがキリストと結婚するということなのです。

では、律法が夫で、私たちは妻なのでしょうか。いや、違います。パウロは律法が死ぬとは言っていません。むしろ、私たちが死んだと言いました。」

最終的に、私たちはパウロの比喩の使い方にあまり拘りすぎない方がよいでしょう。

パウロはあるポイントを伝えたいと思っていました。たとえその比喩の使い方がちぐはぐであったとしても、私たちはその比喩そのものに拘るのではなく、パウロの伝えたかった要点を理解しようとすべきです。

では、パウロの要点とは何でしょうか。

「死によって、人に対する律法の力が破られます。」

つまり、結婚の場合、夫の死によって、その妻に対する結婚の律法の力は無効になります。

私が以前言ったように、夫が生きている間は、律法によって、彼女は別の人と結婚することができませんでした。けれども、夫が亡くなると、その律法は彼女に適用されなくなり、彼女は別の人と結婚することができるのです。

私たちの場合、私たちは別の律法の下にありました。それは神様の律法です。

その律法は、何が善で何が悪かを示していました。そして、その律法のもとで私たちは罪を犯すと裁かれました。

さらに、私たちの罪によって、神様から離れてしまい、神様との関係を持つことができませんでした。

しかし、キリストにあって、私たちは死にました。ローマ書6章に、私たちはそのことを読みました。

イエス様が十字架で死んだとき、私たちはイエス様と共に死にました。そして、イエス様は私たちを新しい人として復活させてくださいました。(6:3-7)

バプテスマはこの真理を象徴するものです。水はお墓を象徴しています。そして、私たちが水に沈むとき、それは霊的な真理を表します。

私たちの古い人生—つまり、自分のために生きる私たち、また、神様に反抗する私たちは死にました。そして、私たちは新しい人として復活するのです。

私たちは神様に従いたいのです。そして、これから神様のために生きたいのです。

それでもなお、もっと大切なのは、聖霊様を通して神様が私たちのうちに住んでおられることです。神様は私たちに、御自分を喜ばせたいという望みを与え、さらにその望みを実現する力を与えてくださいます。

では、パウロのポイントに戻りましょう。

私たちはイエス様と共に死んだので、神様の律法はもはや私たちに対して力を持ちません。

私たちと神様との関係は、私たちが律法を守ることに基づくものではなく、神様の恵みとイエス様の十字架の働きに基づいています。

律法は、もはや私たちを裁くことができません。なぜなら、イエス様が私たちの罪の罰を、すでに身代わりとして受けてくださったからです。

たとえ私たちが罪を犯しても、律法はもはや私たちを神様から引き離すことはできません。むしろ、イエス様にあって、私たちは神様との関係を持っています。

イエス様と教会の関係が、新郎と新婦の関係として描写されているのは、偶然ではないと思います。

教会の一員として、私たちはイエス様と結びつけられています。そして、私たちはイエス様のために実を結びます。

もちろん、これは文字通りの子どもを生むという意味ではありません。

けれども、私たちが霊的な実を結ぶことによって、つまり、神様の愛と福音を分かち合うことによって、神様の国は広がっていきます。

この真理に思いを巡らし、喜びましょう。

コメントを残す