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ローマ人への手紙

恵みの管轄

ローマ人への手紙7:1-6

前回の記事で、私は、この箇所でパウロが結婚の比喩を使っているが、その使い方が少しちぐはぐだと述べました。彼はこの比喩を通して、「死によって律法が人に対する力を失う」という真理を描写しています。

パウロの比喩では、夫の死によって、結婚の律法はその妻に対する効力を失いました。

そして、パウロは「私たちが死んだので、律法は私たちに対する効力を失った」と言います。

しかし、パウロは私たちを比喩に登場する夫ではなく、まだ生きている妻と比べています。

なぜでしょうか。

考えてみてください。夫が死んだとき、律法はその夫婦に対する力を失いました。けれども、どちらの方がより影響を受けたでしょうか。夫でしょうか。違います。妻の方が影響を受けました。

夫が死ぬ前、律法によって彼女は夫と結ばれていました。彼女に対して、律法は権限を持っていました。

けれども、夫が亡くなると、律法は彼女に対する権限を失いました。その法律はもはや彼女には関係がありませんでした。

言い換えると、夫が亡くなったとき、彼女も別の意味で死んだのです。彼女は結婚の律法の権限に対して死にました。だから、彼女は別の人と結婚してもよいのです。

この話から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

私たちがクリスチャンになる前、神様の律法は私たちに対して権限を持っていました。その律法は私たちにこう命じました。

「神様の戒めに従いなさい。そうしないと、あなたは死にます。」

しかし、大きな問題がありました。完全に戒めを守ることができる人は、誰ひとりいませんでした。そのため、私たちは皆、処刑を宣告されていたのです。

けれども、神様はイエス様をこの世に送ってくださいました。そして、イエス様は私たちにはできないことを成し遂げてくださいました。イエス様は神様の律法を完全に守り、十字架の上で私たちの罪の罰を身代わりとして受けてくださいました。

だから今、神様は私たちを受け入れてくださいます。なぜでしょうか。私たちが律法を守るからでしょうか。違います。私たちがイエス様とその十字架の働きを信じるからです。

今や、私たちは律法の管轄下にありません。私たちは恵みの管轄下にあります。私たちは律法には関係がありません。なぜなら、私たちは律法に対して死んだからです。

したがって、私たちは律法に従うことに焦点を当てません。むしろ、イエス様と結びつき、私たちは毎日、聖霊に導かれています。

その結果は何でしょうか。私たちは永遠の命に至る義の実を結びます。律法の下では、私たちはそのような実を結ぶことができませんでした。

私たちはその真理を本当に理解できているでしょうか。

多くのクリスチャンは恵みの管轄下にあるにもかかわらず、まるで律法の管轄下にあるかのように生きています。

彼らは、神様に受け入れられるためには、完全に律法を守らなくてはならないと思っています。律法を守らなければ罰せられると恐れるあまり、彼らはいつも神様を怖れています。

しかし、心に留めておきましょう。私たちはもう律法の管轄下にありません。私たちは、私たちを愛し受け入れてくださるイエス様と結びつけられています。

だから、神様を恐れずに生きましょう。神様の基準を満たせるかどうかを心配するのではなく、むしろ、イエス様の愛を喜び、その愛をイエス様にお返ししましょう。それが恵みによる生活です。

あなたはどうでしょうか。あなたは恵みの管轄下にあるでしょうか。それとも、律法の管轄下にあるかのように生きているでしょうか。

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