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ローマ人への手紙

全く違う関係に導かれた

ローマ人への手紙8:12ー17

もしかすると、パウロは、自分が6章で書いた言葉を振り返り、その意味をさらに説明する必要があると感じたのかもしれません。

6章では、パウロは、私たちはかつて罪の奴隷だったが、今は神様の奴隷であると記しました。

「神様の奴隷」という言葉は、少し不思議に聞こえるかもしれません。おそらく、パウロの意図は、私たちが完全に神様のものとなったことを強調することだったのでしょう。

しかし、「奴隷」という言葉を聞くと、「自由がない」とか「罰の恐れ」といったイメージを思い浮かべる人もいるかもしれません。

だから、パウロは、その誤解を解こうと考えたのかもしれません。

そして、パウロはこう語りました。

あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。

この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。

子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。(15-17)

つまり、聖霊様は私たちを導かれますが、決して厳しい主人ではありません。

私たちが罪を犯したり、失敗したりしても、聖霊様は鞭で私たちを罰することはありません。また、「あなたは価値のない人だ。天の父は決してあなたを受け入れることはできない」と言われることもありません。

むしろ、私たちが自分の失敗を見て絶望するとき、また、放蕩息子のように神様を「お父さん」と呼ぶ資格がないと思うとき、聖霊様は私たちの心にささやかれます。

「ちょっと待ってください。あなたはまだ神様の子供です。天の父は今もあなたを愛しておられます。神様を『お父さん』と呼んでもよいのです。天の父はそれを聞いて、心から喜ばれます。」

そして、私たちが試練に直面し、苦しむとき、聖霊様は私たちに希望があることを思い出させてくださいます。私たちは神様の相続人だからです。そして、私たちの苦しみは永遠に続くものではありません。

簡単に言うと、私たちは単なる奴隷ではありません。私たちは神様の愛される子供です。そのことを決して忘れないでください。

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