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ローマ人への手紙

神様の選びの神秘(1)

ローマ人への手紙9:1-29

聖書の中で最も難しい概念の一つは、神様の選びです。つまり、神様が人々を聖徒として選ばれることです。

神様の選びを考えると、人間の自由意志という概念と矛盾するように思えます。また、神様の選びは、神様がすべての人々を愛しておられるという考え方とも矛盾しているように感じられます。

私の意見を述べる前に、まず言わなければならないことは、神様の選び、また予定説について、私たちの知識は不完全であるということです。どのように考えても、私たちはこの概念を完全に理解することはできません。

今日の箇所で、パウロはユダヤ人に対する自分の悩みを表現しています。なぜパウロは悩んでいたのでしょうか。それは、神様がご自身をユダヤ人たちに現されたにもかかわらず、多くのユダヤ人がイエス様をメシアとして拒絶したからです。

パウロ自身がユダヤ人であったため、特に深く悲しんでいました。

それでも、パウロは、アブラハムの子孫への神様の約束が無効になったわけではないと語ります。そして、パウロはその理由を二つ示します。

一つの理由は、11章に書かれています。もう一つの理由は、この箇所に記されています。

パウロの最初の答えは、単なる血統によって「私はユダヤ人だ」と主張することはできないということです。このことを説明するために、パウロはイサクとイシュマエルの例を挙げます。

パウロは「肉の子供」と「約束の子供」を対比します。

「肉の子供」とは、自然に生まれた子供のことです。イシュマエルは肉の子でした。アブラハムはハガルという若い女性と関係を持ち、その結果イシュマエルが生まれました。

一方で、イサクは「約束の子」でした。アブラハムの妻サラは長年、不妊の状態でしたが、神様は「サラは息子を産む」と約束されました。そして、彼女が90歳になった時、イサクを生みました。

彼女は神様の約束と力によってのみ、イサクを生むことができたのです。

このように、アブラハムの子孫となることは、自然のプロセスによるものではありません。それは血統によるものではなく、むしろ神様の恵みと約束によってのみ、私たちはアブラハムの霊的な子孫となるのです。

そして、パウロは重要なポイントを教えます。その約束は、私たちの行動に基づいているのではありません。

エサウとヤコブの話を通して、パウロはこの真理を説明します。

その子どもたちがまだ生まれもせず、善も悪も行わないうちに、選びによる神のご計画が、行いによるのではなく、召してくださる方によって進められるために、「兄が弟に仕える」と彼女に告げられました。(ローマ人への手紙9:11-12)

パウロのポイントは何でしょうか。神様がヤコブを選んだ理由は、ヤコブがエサウよりも優れた人だったからではありません。ヤコブが品行方正だったから、神様が彼を選ばれたわけでもありません。

むしろ、神様は恵みによってご自身の目的を果たすために、ヤコブを選び、約束をされたのです。

多くの人々は神様の選びを次のように説明しようとします。

「神様はご自身の予知によって人々を選ばれました。神様は誰が良い人になるか、悪い人になるかをあらかじめ知っておられました。また、神様は誰が神様を選ぶか、選ばないかをあらかじめ知っておられました。だから、神様はその予知によって人々を選ばれたのです。」

しかし、もし神様がそのように人々を選ばれるのであれば、11節にあるパウロのポイントは意味を持たないことになります。

この考え方によれば、人々の選びは彼らの行為によるものではなく、彼らが将来何をするかという神様の知識によって決定されることになります。

けれども、パウロによれば、神様の選びは人々の過去の行いにも将来の行いにも左右されないのです。

むしろ、パウロは「行いによるのではなく(過去の行いでも、将来の行いでも)、召してくださる方によって」と語っています。

そして、パウロは預言者マラキの言葉を引用します。

わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。(13)

私はその言葉をこの記事でさらに詳しく説明しましたが、簡単に言えば、神様のポイントは、ヤコブの行いによるのではなく、神様の恵みと目的によってヤコブを選ばれたということです。

けれども、それは不公平ではないでしょうか。神様は、誰を救い、誰を地獄に送るのかを、みだりに選ばれるのでしょうか。

次の記事で、その疑問について詳しく考察します。

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