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ローマ人への手紙

神様の選びの神秘(2)

ローマ人への手紙9:1-29

前回の記事の最後で、私はこう問いかけました。「もし私たちの救いが神様の選びによるのなら、神様はみだりに誰を救い、誰を地獄に送ることを決めているのでしょうか。」

もちろん、神様はみだりに選ばれることはありません。神様は確固とした計画を持っており、すべての決断はその計画に基づいています。

私たちの問題は、神様がその計画を私たちに完全に明らかにされていないということです。また、神様はご自身の決断の理由をすべて示されているわけではありません。特に、なぜある人々を救い、ある人々を救われないのかについては説明されていません。

そのため、この疑問をどのように考えても、私たちは完全に理解することはできません。神様はすべてをまだ明らかにされていないからです。

だから、多くの人々は、神様の選びが不公平に思えるのです。

神様は、「わたしはあわれもうと思う者をあわれみ、いつくしもうと思う者をいつくしむ」と言われました。(15節)

そして、パウロはこう記しています。「ですから、神は人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままに頑なにされるのです。」(18節)

すると、人々はこう叫びます。

「不公平だ。どうして神様はある人を憐れむのに、ある人を憐れまないのか。

もし神様がある人々を憐れまず、その心を頑なにされるのであれば、どうして神様は彼らを地獄に送るのか。

それは彼らのせいではない。だって、誰が神の意図に逆らえるのですか。」(19節)

パウロは、二つの答えを示します。

人よ。神に言い返すあなたは、いったい何者ですか。造られた者が造った者に「どうして私をこのように造ったのか」と言えるでしょうか。

陶器師は同じ土のかたまりから、あるものは尊いことに用いる器に、別のものは普通の器に作る権利を持っていないのでしょうか。(ローマ人への手紙9:20-21)

要するに、神様は創造主です。神様はご自身が造られたものを、思うままに扱う権利を持っておられます。また、神様はご自身の目的を果たすために、その造られたものを自由に用いる権利も持っておられます。

とはいえ、そのように述べた後で、パウロは興味深いことを語ります。

それでいて、もし神が、御怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられたのに、滅ぼされるはずの怒りの器を、豊かな寛容をもって耐え忍ばれたとすれば、どうですか。(22)

パウロは何を伝えたいのでしょうか。たぶん、パウロのポイントはこうです。神様はご自身の計画を立てられましたが、滅びるべき怒りの対象となる人々にこう問いかけられました。

「あなたは私の判断が間違っていると思うのか。では、私の判断が誤っていることを証明しなさい。あなたが救いに値することを証明してみなさい。」

そして、神様は待っておられました。そして、さらに待っておられました。そして、さらに待っておられました。ところが、神様が待てば待つほど、人々はますます悪くなりました。

カナン人は、その例の一つです。アブラハムが初めてカナンに到着した時、神様は彼にこう語られました。

そして、四代目の者たちがここに帰って来る。それは、アモリ人の咎が、その時までに満ちることがないからである。(創世記15:16)

要するに、神様はアモリ人たちを裁くことを決められましたが、すぐにその裁きを実行されたわけではありません。むしろ、神様は彼らが滅びに値しないことを証明する機会を与えられました。

それでも、日々彼らが証明したのは、まさに自分たちがその裁きに値するということでした。そして、神様がイスラエル人をエジプトからカナンに導かれた時、イスラエル人を通してその裁きを実行されたのです。

大洪水の前にも、神様は同じようなことをされました。ノアは長い間、周囲の人々に警告しました。「神様はあなたたちを裁くことを決断された。あなたが悔い改めなければ、必ず滅びるでしょう。」

ノアが箱舟を造っている間、彼は彼らに繰り返し警告していました。そのため、彼らには悔い改める機会が十分に与えられていました。

彼らは神様の判断が誤っていることを証明する機会を持っていました。彼らがそれほど悪い人間ではないことを証明する機会も与えられていました。

けれども、結局彼らが証明したのは、自分たちがその裁きに値するということでした。

だから、心に留めておきましょう。人々が本当に神様を求め、従いたいと願うのに、神様がみだりに彼らを地獄に送ることはありません。

彼らが「神様、私は悔い改めます。赦してください。」と言うのに、神様が「残念だが、私はあなたを選んでいないので、君は地獄に行かなくてはならない」と答えることは決してありません。

むしろ、人々が神様に背を向けることを選び、神様がどれほど悔い改めの時間を与えられても、彼らは自分が滅びに値することを証明してしまいます。

だから、パウロはこう語ります。

ですから、これ(つまり、神様の選び)は人の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。(16節)

もし、神様の選びが私たちの願いや努力によるものなら、救われる人は誰もいないでしょう。なぜなら、神様が彼らを放っておかれたら、神様に従おうとする人は誰もいないからです。

だからこそ、神様の選びはただご自身の恵みと憐れみによるのです。

次の記事で、そのことをさらに詳しく説明します。

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