クリスチャン生活を単なる個人的なものと考えてしまうのは容易なことです。もしかすると、特に欧米諸国では、そのように捉える人が多いのかもしれません。
けれども、クリスチャン生活は一人で送るものではなく、私たちが他のクリスチャンと共に歩むことこそが、神様の御心です。
それにもかかわらず、多くのクリスチャンが教会に行かなくなっています。なぜでしょうか。理由はさまざまありますが、この箇所でパウロは一つの理由を挙げています。
パウロはこう書きました。
私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。
むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。(ローマ人への手紙12:3)
また、
互いに一つ心になり、思い上がることなく、むしろ身分の低い人たちと交わりなさい。自分を知恵のある者と考えてはいけません。(16)
クリスチャンの交わりを壊す要因の一つはプライドです。
「私には、ほかのクリスチャンは必要ない。一人でクリスチャン生活を送ることができる」と考えるプライド。
「私は彼らよりも優れたクリスチャンだから、彼らとの交わりは不要だ」と思うプライド。
「私は彼らと異なる立場にあり、共通点がない」と決めつけるプライド。
「この人も、あの人も私を傷つけた。彼らが謝るまで、私はもう教会に行かない」と意固地になるプライド。
しかし、パウロは私たちに大切なことを思い出させます。
一つのからだには多くの器官があり、しかも、すべての器官が同じ働きをしてはいないように、大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。(4-5)
この箇所では、私たちは非常に重要な真理を目の当たりにします。すべてのクリスチャンはキリストのからだの器官です。
したがって、私たちはもはや自分自身だけに属しているのではありません。まずキリストに属し、さらに私たちクリスチャンは互いに属し合っています。
なぜでしょうか。それは、私たち一人ひとりがキリストのからだの中で異なる機能を持っており、からだ全体が私たちの役割の働きに依存しているからです。
だから、パウロはこう語りました。
私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。(6-8)
あなたは、ほかのクリスチャンを必要としないと思うかもしれません。けれども、たとえあなたが彼らを必要としなくても、彼らはあなたを必要としています。
神様は、あなたを通して彼らを祝福するために、霊的な賜物を与えてくださいました。そして、私たちがほかのクリスチャンに仕えるとき、それは神様に仕えることでもあるのです。
だから、パウロは私たちに重要な教訓を示しています。
勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。(11)
もし私たちがプライドによって賜物を用いず、教会に仕えることをしないなら、いつか神様は私たちにその責任を問われるでしょう。
ですから、忘れないでください。私たちは他のクリスチャンに属し、また彼らも私たちに属しています。私たちは互いに必要な存在なのです。
だから、兄弟たちとの交わりを断つプライドを捨てましょう。そして、むしろパウロの言葉に従いましょう。
兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。(10)
