もしかしたら、前回の記事を読んで異議を持った人がいたかもしれません。なぜなら、私はこのように述べたからです。
「私たちがクリスチャンの交わりを必要とする理由の一つは、互いに必要な存在だからです。キリストのからだの中で、私たちはそれぞれに役目を持っています。だからこそ、神様から与えられた賜物を用いて、互いに仕え合う必要があります。」
とはいえ、ある人はこう言うかもしれません。 「教会の人々を祝福するだけでなく、この世の人々も祝福すべきではないでしょうか。」
もちろん、その通りです。それでも、忘れないでください。私たちが受けた賜物の多くは、まず教会のために与えられています。
例えば、エペソ人への手紙で、パウロはこう語りました。
こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。(エペソ4:11)
イエス様はなぜそのようにされたのでしょうか。
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。
私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。(エペソ4:12-13)
伝道者の役割について少し考えてみましょう。彼らの使命は、特に教会の外にいる人々に向けられているはずです。
しかし、パウロの言葉に注目してください。伝道者の働きの目的は、聖徒たち(つまりクリスチャン)を整え、奉仕の働きへと導くことにあります。
伝道者はもちろん福音を宣べ伝えますが、それだけでなく、他のクリスチャンが福音を伝えられるよう励ます役割も担っています。
他のクリスチャンは、伝道者がこの世に与える影響を見て勇気づけられ、自らの友人に福音を述べ伝えようと決意するでしょう。そのうえ、伝道者は彼らに福音を伝える方法を教えることもあるかもしれません。
そして、パウロが挙げた人々がそれぞれの使命を果たすと、キリストのからだは建て上げられていきます。
もしかすると、あなたはこう思うかもしれません。 「でも、私は使徒や預言者、伝道者、牧師、教師ではありません。」
それは関係ありません。なぜなら、パウロはこう語りました。
むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。
キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。(エペソ4:15-16)
私はもう一度、パウロの強調するポイントに目を向けます。
キリストのからだが完全に成長するまで、私たちはそれぞれの役割を果たし、互いに築き上げていくべきです。
だから、別の箇所でパウロはこう語りました。
ですから、私たちは機会があるうちに、すべての人に、特に信仰の家族に善を行いましょう。(ガラテヤ人への手紙6:10)
だから、私たちは賜物を用いて、この世の人々に仕えるべきです。とはいえ、同時に教会の兄弟姉妹にも仕えることが求められています。
イエス様の言葉を心に留めておきましょう。
わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。(ヨハネの福音書13:34-35)
イエス様の言葉に目を向けてみましょう。
この世の人々は、どのようにして私たちがイエス様の弟子であることを知るのでしょうか。それは、私たちが互いに愛し合うことによってです。私たちが互いに愛し、仕え合うなら、人々はその姿を見て、キリストに惹かれるでしょう。
ところが、もし私たちが争ったり、自分勝手に振る舞ったり、プライドを持ったりするなら、彼らは問いかけます。 「クリスチャンは私たちとどう違うのか。結局、彼らは私たちと同じではないか。」
あなたはどうでしょうか。神様の民を愛しているでしょうか。それとも、避けているでしょうか。神様の民に仕えているでしょうか。もしかすると、あなたが受けた賜物を無駄にしているのではないでしょうか。
