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ローマ人への手紙

返済することができない負債

ローマ人への手紙13:8-10

私はパウロのこの言葉が大好きです。

だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことは別です。(ローマ人への手紙13:8)

「借り」とは何でしょうか。それは、私たちが返済しなければならないものです。私たちは、その金額を返済する義務を負っています。

この箇所で、パウロは「愛」を「借り」と比較しています。つまり、パウロの言葉を言い換えれば、私たちは人を愛する義務を負っているのです。

パウロの言葉について少し考えてみましょう。もし誰かが、「私を愛しなさい。あなたにはその義務がある」と言ったら、あなたはどう反応するでしょうか。

私なら、「いやだ。あなたを愛する義務なんてないよ」と答えるかもしれません。

しかし、パウロは、私たちがその義務を持っていると言います。なぜでしょうか。

第一の理由は、私たちが皆、神様の似姿として造られたことです。だからこそ、私たちは彼らを愛すべきなのです。

第二の理由は、神様が彼らを愛しておられることです。もし神様が彼らを愛しておられるなら、私たちも彼らを愛するに値すると見なすべきです。

それでも、多くの場合、私たちは相手を愛するに値する存在だと見なしていません。なぜでしょうか。

時には、彼らが私たちとは異なる存在だからです。つまり、彼らの身分や性格が私たちと違うのです。

また、時には、彼らの行動にあきれることもあります。

しかし、私たちが決して忘れてはならないのは、神様が彼らを造り、愛しておられることです。だからこそ、彼らは私たちの愛に値する存在なのです。

もし私たちがその愛を与えることを拒むなら、基本的にこう言っているのと同じです。 「神様、あなたは価値のないものを造られました。どうしてあの人を愛しておられるのですか?」

そして、第三の理由があります。神様が私たちを愛しておられるゆえに、イエス様をこの世に送られたのです。

私たちを救うために、イエス様は十字架の上で計り知れない代価を支払われました。私たちには、その負債を返済することは決してできません。

それにもかかわらず、私たちは値しない愛と恵みを受けました。そのため、神様に対して負債を負っているのです。それは、私たちが受けた恵みと愛を、周りの人々に惜しみなく与えることです。

たとえ相手がその愛と恵みに値しないと感じたとしても、私たちはなお、その愛と恵みを与えるべきなのです。

イエス様はこう語られました。

あなたがたはただで受けたのですから、ただで与えなさい。(マタイ10:8)

あなたはどうですか。あなたは、無償で受けた愛を周りの人々に無償で与えているでしょうか。

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