他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。(ローマ人への手紙13:8)
私はいつもその言葉を少し不思議に思っていました。
なぜなら、律法の要求を満たすのであれば、他の人だけでなく、神様も愛すべきではないでしょうか。イエス様が最も重要な戒めについて語られたとき、こう言われました。
「「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
これが、重要な第一の戒めです。
「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という第二の戒めも、それと同じように重要です。」(マタイ22:37-39)
パウロは必ずイエス様の言葉を知っていたはずなのに、なぜ「他の人を愛する」という戒めだけについて語ったのでしょうか。
私には確かな答えはありませんが、おそらく神様を愛することと他の人を愛することは切り離せないものだからでしょう。
私たちが本当に神様を愛しているなら、他の人も愛さなくてはなりません。もし他の人を愛さないなら、私たちが本当に神様を愛しているとは言えないのです。
ヨハネも自身の書簡の中でそのように語っています。
この世の財を持ちながら、自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対してあわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょうか。(第一ヨハネ3:17)
また、
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。(第一ヨハネ4:20-21)
ヨハネの議論に反論するのは非常に難しいと思います。もし私たちが目に見える人を憎むなら、どうして目に見えない神様を愛していると主張できるでしょうか。
あなたはどうですか。あなたは神様を愛していると主張するでしょうか。
あなたは周りの人々をどのように扱っていますか。彼らを見下していますか。彼らを軽蔑していますか。
もしそうしているなら、あなたは本当に神様を愛しているかどうかを考えるべきです。
だから、ヨハネの言葉を心に留めましょう。
子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。(第一ヨハネ3:18)
