この箇所では、パウロは14章の教えをまとめています。まず、彼は次のように語ります。
私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。
私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。(ローマ人への手紙15:1-2)
14章によれば、「力のない人」とは、クリスチャンが許されていることを行うとき(例えば、お酒を飲むこと)、自分の良心に反してしまう人です。また、義務ではないこと(例えば宗教的な祝日を祝うこと)を、やらなくてはならないと考えてしまう人を指します。
「力のある者」とは、そのような規則を守る必要はないと理解している人です。
しかし、パウロは「力のある者たち」が「力のない人たち」を責めてはならないと語っています。むしろ、「力のある者たち」は「力のない人たち」の益を求め、その人を支えるべきです。
イエス様は私たちの模範です。イエス様は力ある方でありながら、私たちの弱さを担ってくださいました。
弟子たちは、喧嘩をしたり、誇ったり、わがままになったり、混乱した人生を歩んだりしました。それでも、イエス様は彼らを愛し、彼らの足を洗うほどに仕えました。(ヨハネ13章)
さらに、人々がイエス様を憎み、侮辱し、十字架につけたとしても、イエス様は彼らのために祈られました。
父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。(ルカ23:34)
そして、イエス様は彼らの罰を負い、彼らのために命を捧げられました。
しかし、イエス様は私たちのためにも死なれたので、私たち全員に希望があります。
だから、パウロは次のように語っています。
ですから、神の栄光のために、キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。(ローマ人への手紙15:7)
そして、パウロはこのように祈りました。
どうか、忍耐と励ましの神があなたがたに、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを抱かせてくださいますように。
そうして、あなたがたが心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父である神をほめたたえますように。(5-6)
神様は、私たちが一致をもって歩むように召されています。その鍵は、互いの失敗や弱さに焦点を当てるのではなく、むしろイエス様に目を向けて従うことです。
私たちが他のクリスチャンを見るとき、互いに引き裂き合うのではなく、励まし合うべきです。
もし私たちが互いに争ったり、傷つけ合ったりするなら、神様はどれほど悲しまれるでしょう。
そうではなく、イエス様のように生きることを目指しましょう。私たちは互いの弱さを担い合い、愛し合い、受け入れ合い、仕え合いましょう。
