私たちが聖書を読むとき、なぜ神様が特定の物語や情報を記録されたのか疑問に思うことがあるでしょう。
例えば、なぜ出エジプト記とレビ記には、神様がさまざまな律法を記録されたのでしょうか。ある律法は私たちに関係がありますが、ある律法は、私たちにはまったく関係がないように思えます。
また、なぜ聖書には、レイプや殺害に関する記述が含まれているのでしょうか。
しかし、パウロは興味深いことを記しています。
かつて書かれたものはすべて、私たちを教えるために書かれました。
それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。(ローマ人への手紙15:4)
つまり、聖書に書かれているすべてのことには、神様の目的があります。例えば、律法を通して、私たちは神様の聖さ、正義、そして憐れみを見ることができます。
辛い物語を通して、私たちは人間の罪の深さを知ることができます。人々が神様から離れると、どれほどその人生が混乱し、破滅へ向かうのかが分かります。
しかし、そのような物語の中にも、神様がどのように働かれ、苦しみの中から良いことをもたらされるかを見ることができます。
神様の民が迫害されたとき、神様はしばしば彼らを救われました。たとえ彼らが死んだとしても、神様が彼らに平安を与えられたことが分かります。
神様の民が苦しんでいたとき、また、彼らが神様に見捨てられたと感じたときも、私たちは神様が働かれ、彼らを慰めてくださることを見ることができます。
この世の災いを目にするとき、また私たちが迫害や苦しみを経験するとき、私たちは忍耐する希望を持つことができます。
私たちは歩み続ける勇気を受け取り、そして気づくのです—2000年前に人々を救われた神様は、今も生きておられ、私たちの人生の中で働いておられることを。
だから、どんな試練に直面しても、人生が順調であってもそうでなくても、聖書を読みましょう。神様は今も生きておられ、私たちの人生の中で働いておられることを覚えておきましょう。
そして、パウロの祈りを心に留めましょう。
どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。(13)
