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コリント人への手紙第一

結婚と離婚

コリント人への手紙第一7:10-16;39-40

コリント人への手紙第一7章では、パウロはさまざまなテーマについて語っています。

前回の記事で私は結婚について触れたため、今回もこのテーマについて書き続けようと思います。

今日の箇所では、パウロはイエス様の結婚に関する教えを改めて強調しています。

そこで、パウロは次のように語りました。

すでに結婚した人たちに命じます。命じるのは私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。

もし別れたのなら、再婚せずにいるか、夫と和解するか、どちらかにしなさい。また、夫は妻と離婚してはいけません。(コリント人への手紙第一7:10-11)

パウロは、イエス様がパリサイ人に語られた言葉を参考にしています。

イエス様は次のように語られました。

あなたがたは読んだことがないのですか。創造者ははじめの時から『男と女に彼らを創造され」ました。

そして、「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである」と言われました。ですから、彼らはもはやふたりではなく一体なのです。

そういうわけで、神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません。(マタイ19:4-6)

また、

モーセは、あなたがたの心が頑ななので、あなたがたに妻を離縁することを許したのです。しかし、はじめの時からそうだったのではありません。

あなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁し、別の女を妻とする者は、姦淫を犯すことになるのです。(マタイ19:8-9)

私は以前の記事でイエス様の言葉について触れたので、この記事では詳しく取り上げません。

パウロの教えの核心は、結婚が末永く続くべきものであるということです。だからこそ、私たちはそのように結婚を捉えるべきなのです。

39節で、パウロは次のように語っています。

妻は、夫が生きている間は夫に縛られています。(39)

もちろん、夫も妻が生きている間は妻に結びつけられています。だから、私たちはできる限り、その結婚を守るよう努めなければなりません。

それでも、時には相手がどうしても離婚を望むことがあります。その場合、私たちはどうすべきでしょうか。

パウロは次のように語っています。

そのほかの人々に言います。これを言うのは主ではなく私です。

信者である夫に信者でない妻がいて、その妻が一緒にいることを承知している場合は、離婚してはいけません。

また、女の人に信者でない夫がいて、その夫が一緒にいることを承知している場合は、離婚してはいけません。

なぜなら、信者でない夫は妻によって聖なるものとされており、また、信者でない妻も信者である夫によって聖なるものとされているからです。

そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れていることになりますが、実際には聖なるものです。

しかし、信者でないほうの者が離れて行くなら、離れて行かせなさい。

そのような場合には、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとして、あなたがたを召されたのです。

妻よ。あなたが夫を救えるかどうか、どうして分かりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうか、どうして分かりますか。(12-16)

パウロの教えは分かりやすいと思うので、簡単に解説します。

まず、パウロが「これを言うのは主ではなく私です」と述べたとき、それは単なる個人的な意見であり、「気に入らなければ無視してもよい」という意味ではありません。

むしろ、彼の言葉の意図は、イエス様が信者ではない者が信者と離婚したい場合について直接語られたことがなかった、という事実を示しています。そのため、パウロはこう述べました。

「イエス様はこのケースについて具体的に語っていないので、イエス様に任命された使徒として、私は何をすべきか教えます。」

使徒として、パウロの言葉には権威があります。したがって、私たちはその教えに従わなければなりません。

だから、信者ではない者がどうしてもあなたとの離婚を望むなら、離婚しても構いません。神様はそれを許されています。

とはいえ、あなたの配偶者が信者ではない場合、必ず離婚しなければならないとは限りません。なぜなら、あなたを通して神様の御手があなたの家族の上にあるからです。神様はあなたを通して、配偶者や子供たちに触れることができるのです。

この箇所で「聖なるもの」とは「救われる」という意味ではありません。むしろ、神様はその家族を見て「これは私のものだ」と宣言し、ご自身の目的のためにその家族の中で働かれるのです。

最後に、シングルの人々に対するパウロの教えに注意してください。つまり、結婚を望むなら、クリスチャンはクリスチャンと結婚すべきです。

39節で、パウロは次のように語っています。

しかし、(女の人の)夫が死んだら、自分が願う人と結婚する自由があります。ただし、主にある結婚に限ります。(39)

もちろん、パウロは特に寡婦に語っていますが、その言葉はすべての独身の人にも当てはまります。主に属する人と結婚しなければなりません。

時に、クリスチャンはこう考えます。「その人と結婚すれば、後に救われるかもしれない。」

けれども、よく考えてみましょう。パウロが教えたのは、信者ではない者が離婚を望むなら、その人を自由にさせなさいということです。なぜでしょうか。

妻よ。あなたが夫を救えるかどうか、どうして分かりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうか、どうして分かりますか。(16)

では、その答えは何でしょうか。実際のところ、その人が将来救われるかどうかは分かりません。それについて、神様からの確約はありません。

多くのクリスチャンがノンクリスチャンと結婚し、その結果、大きな葛藤や悩みを抱えてしまいます。クリスチャン同士の結婚であっても、結婚生活は決して容易なものではありません。

それでも、夫婦の根本的な信仰が異なれば、その困難はさらに深まります。

だから、そもそもそのような関係を避けることが最善なのだと思います。

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