この箇所を読むと、パウロが結婚に対してそれほど積極的ではないと結論づけるのは容易かもしれません。
パウロは決して、「結婚は素晴らしいものです。結婚する方がよい」とは述べていません。
むしろ、彼は次のように語っています。「結婚するなら、それは罪ではありません。」(コリント人への手紙第一7:28,36)
これは、熱心な勧めとは言えませんね。
さらに、パウロはこう語ります。
婚約者と結婚する人は良いことをしており、結婚しない人はもっと良いことをしているのです。(コリント人への手紙第一7:38)
私たちは、パウロの言葉をどのように理解すべきでしょうか。
パウロは、結婚の良さを控えめに語るというよりも、むしろ独身生活の利点を強調しようとしています。
彼の言葉は、しばしば私たちの家族や友人が言うことと対照的です。
「そろそろ結婚した方がいいんじゃない?もう結婚の年ごろでしょう。」
「あなたはとても素敵な人なのに、どうしてまだ結婚しないの?この人はどう?あの人はどう?」
けれども、パウロははっきりと語ります。「独身の生活で問題ありません。」
なぜでしょうか。
独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。
しかし、結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、心が分かれるのです。
独身の女や未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。
私がこう言うのは、あなたがた自身の益のためです。あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようになるためです。(32-35)
私の経験では、パウロの言葉は真実です。独身でいれば、既婚者よりも主に仕えることが容易です。
奉仕をするとき、私は常に妻と娘の必要を考慮しなければなりません。幸いにも、私の妻もクリスチャンであり、私の奉仕を応援してくれています。
けれども、それでも時間のバランスには気を配る必要があります。妻との時間、娘との時間、そして奉仕の時間を適切に配分することが求められます。
一方、独身の人はこのようなことを考える必要がありません。だからこそ、パウロによれば、結婚せずに独身生活を続けることは神様からの賜物なのです。
では、どのようにして自分がその賜物を持っているかを知ることができるでしょうか。
もし、独身生活を賜物とは思えないなら、もしかすると、それはあなたに与えられた賜物ではないのかもしれませんね。😊
たとえあなたが独身の賜物を持っていたとしても、あるいはそれを待っていなくても、神様はその独身生活を御自身の栄光のために用いることができます。あなたは神様のために多くの人々に触れ、この世に良い影響を与えることができるのです。
私の知り合いの中にも、そのように歩んでいる人がたくさんいました。神様はある友人には後に配偶者を与え、別の人々には独身の生活に満足する心を与えてくださいました。
だからこそ、もしあなたが独身であるなら、自己憐憫に陥らないでください。むしろ、独身の人として、その時間を最大限に活かし、神様に仕えるよう努めましょう。
そして、神様が最も良いタイミングで、最善の相手を与えてくださることを信じてください。
独身として、あなたはどのように自分の時間を活かしていますか。
