以前、私たちが誰に従うべきか注意する必要があると述べました。世の中には良いリーダーもいれば、悪いリーダーもいます。
そのため、私たちは彼らの行いを見極めなければなりません。特に、彼らの教えと行動に注意を払う必要があります。
しかし、良いリーダーに従うとしても、彼らが完全な存在ではないことを忘れてはなりません。彼らがいつも正しいわけではなく、時には誤った決断をすることもあります。
だからこそ、彼らを神様のように扱ってはいけません。彼らの考え方が間違っていることもあります。そのため、私たちはリーダーに従う際に、彼らの良い点と悪い点を見分けなければなりません。
そこで、パウロはこう言いました。
私がキリストに倣う者であるように、あなたがたも私に倣う者でありなさい。(コリント人への手紙第一11:1)
最終的に、私たちの模範はキリストです。キリストのかたちに倣う限り、私たちはその模範に従うべきです。
けれども、キリストとは異なる部分があるならば、人の模範ではなく、イエス様の模範に従うべきです。そうしなければ、最終的に迷いに陥ってしまいます。
ガラテヤ2:11–13では、その例を見ることができます。ペテロは教会のリーダーの一人でした。彼は確かに良い模範だったでしょう。
しかし、プレッシャーを感じたとき、ペテロはイエス様の模範に従いませんでした。
最初、彼はガラテヤの異邦人たちと語り合い、彼らの食べ物を共にし、良い時間を過ごしていました。
けれども、モーセの律法に従うユダヤ人のクリスチャンたちがやって来ました。そして、彼らが来ると、ペテロは異邦人たちから距離を置き、ユダヤ人のクリスチャンたちだけと交わり始めました。
ガラテヤにいたほかのユダヤ人のクリスチャンたちは、それを見て、ペテロの模範に倣い始めました。敬虔なクリスチャンであるバルナバさえも、ペテロの態度に影響されました。そのため、パウロはそれを見たとき、彼ら全員を厳しく責めました。
もちろん、ペテロの責任は最も大きいものでした。とはいえ、彼の模範に従ったクリスチャンたちも罪へと陥ってしまいました。
だからこそ、心に留めておきましょう。どんなに敬虔なクリスチャンであっても、彼らを神様と同じ立場に置いてはいけません。彼らは完全な存在ではありません。
牧師であっても、メンターであっても、有名な聖書学者であっても、彼らが過ちを犯すことがあります。そのとき、彼らの模範に従ってはなりません。
むしろ、彼らがキリストに従っている限り、彼らに従うべきです。けれども、彼らが落とし穴に陥ったならば、同じように陥ってはいけません。むしろ、彼らが以前あなたを警告し、助けたように、あなたも彼らを警告し、助けましょう。
