12章に進む前に、もう一つのことについて触れたいと思います。パウロは32節で、こう語りました。
私たちがさばかれるとすれば、それは、この世とともにさばきを下されることがないように、主によって懲らしめられる、ということなのです。(コリント人への手紙第一11:32)
私たちが罪を犯すとき、神様は私たちを懲らしめられます。その懲らしめが苦しいあまり、神様が私たちを憎んでいるのではないかと考えてしまうことがあるかもしれません。または、神様があなたを見放したのではないかと思うこともあるでしょう。
しかし、パウロはその考え方が間違っているとはっきり述べています。むしろ、神様が私たちを懲らしめられる目的は、私たちが世とともに裁かれないようにするためです。
要するに、神様は、世の人々が歩んでいる破滅へと至る道から、命へと至る道へと私たちを導いてくださるのです。
5章では、その一例を見ました。パウロは、悔い改めることを拒んだ兄弟について、こう語りました。
そのような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それによって彼の霊が主の日に救われるためです。(5:5)
パウロの目的は、その人を滅ぼすことではなく、むしろ救うことでした。
だから、神様があなたを懲らしめるとき、神様があなたを憎んでいるのではないことを覚えていてください。神様はあなたを敵としてではなく、愛する者として見ておられます。
あなたが実際に神様の敵であったとき、神様はイエス様を遣わされ、イエス様はあなたの罪のために死なれました。もし、あなたが神様の敵だったときにすでに和解してくださったのなら、なおさら神様はあなたを神様の子供として受け入れてくださるのではないでしょうか。(ローマ5:6-11)
自分の罪のために、神様の懲らしめを受けていますか。どうか希望を持ちましょう。神様は今もあなたを愛しておられ、あなたを見放してはいません。
その懲らしめの痛みを感じているとしても、へブル人への手紙の著者の言葉を思い出しましょう。
そして、あなたがたに向かって子どもたちに対するように語られた、この励ましのことばを忘れています。
「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」
訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。
もしあなたがたが、すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生児であって、本当の子ではありません。
さらに、私たちには肉の父がいて、私たちを訓練しましたが、私たちはその父たちを尊敬していました。それなら、なおのこと、私たちは霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。
すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。(へブル12:5-11)
