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コリント人への手紙第一

神様の目的と栄光のため

コリント人への手紙第一12:4-18

霊的な賜物に関するプライドや嫉妬について考えると、最大の問題は、私たちが大切な真理を忘れてしまうことかもしれません。

それは、人生の中心は私たち自身ではないということです。私たちは自分の目的を達成するために造られたのではなく、自分の栄光のために存在しているのでもありません。

むしろ、神様の目的を果たすために造られ、神様の栄光のために生きるようにされています。

4ー6節では、その真理が示されています。私たちはそれぞれ異なる賜物を持っていますが、それは自分自身で得たものではありません。むしろ、神様が私たちに与えてくださったのです。だからこそ、パウロはこう語りました。

いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。(そのように認める人は誰もいません)。

あなたには、何か、もらわなかったものがあるのですか。(もらっていないものは何もありません)。

もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。(誇る理由はまったくありません)。(コリント人への手紙第一4:7)

けれども、私たちは時に、自分自身が神様からの賜物であるかのように振る舞ってしまうことがあります。

確かに、ある意味では、私たちは神様の賜物です。神様は私たちが周囲の人々を祝福することを望んでおられます。とはいえ、それは私たち自身の栄光や利益のためではありません。それは周りの人々の益となり、神様の栄光を現すためのものです。

前回の記事で述べたように、私たちの賜物は教会の人々の益のために与えられました。(12:7)

パウロは続けてこう言います。

同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。(コリント人への手紙12:11)

パウロによれば、聖霊様はご自身の目的を果たすために、私たちに賜物を与えてくださいます。

そしてパウロはさらにこう語ります。

しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。(18)

私たちは神様の目的を果たすために、キリストのからだ—つまり教会に—置かれていることを改めて見ます。

したがって、私たちにはプライドを持つ余地はありません。私たちは自分の目的のためではなく、神様の目的のために賜物を与えられ、教会に置かれました。

また、嫉妬を抱く余地もありません。神様はご自身の理由によって、あなたをその場所に置かれました。

神様は決してこう言われることはありません。 「あ、しまった。あなたを造ったとき、失敗した。まあ、しょうがない。 あなたをあまり用いることはできないけど、とりあえずそこに置いておこう。」

むしろ、神様があなたを造られたとき、こう言われました。 「特別な目的のためにあなたを造った。キリストのからだにおいて、この役割を果たすために、私はあなたを特別にデザインした。」

あなたはどうでしょうか。自分の賜物があなた自身の目的を果たすためのものだと思っていますか。あるいは、自分の賜物があなたの栄光のためのものだと思っていますか。

もしかすると、その賜物が神様の目的、そして神様の栄光のために与えられたものだと気づいているでしょうか。

賜物に関する自己中心的な態度は、プライドと嫉妬を生む原因となります。あなたはどのような態度を持っているでしょうか。

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