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コリント人への手紙第一

私たちはそれほど特別ではないと思うけれど

コリント人への手紙第一12:4-30

教会では、多くの人々が他のメンバーの賜物を見て、劣等感を抱くことがあります。神様が彼らを特別な存在として見ておられ、キリストのからだに欠かせない者であると聞いても、その真理を実感できないことがあります。

しかし、パウロは何度も、私たちが神様の目にとっても特別な存在であることを教えています。

パウロは基本的にこう語っています。

「他の人々の賜物を見て、劣等感を抱いているのですか?そんな必要はありません。『あなたの賜物は安物だが、彼らの賜物は高価なものだ』とは言えません。

その賜物は同じ方から与えられたものです。あなたの賜物の価値も高いのです。

『あなたの役割は取るに足りないが、彼らの役割はとても重要だ』とも言えません。

彼らに役割を与えられた主は、あなたに役割を与えられたのと同じ主です。

そして、神様は決して『あなたの役割はそれほど重要ではないから、私は助けなくてもいい。代わりに天使を送ろう』とは言われません。

むしろ、神様ご自身があなたを助けてくださいます。」

また、以前の記事で述べたように、神様があなたを造られたとき、「あ、失敗した。仕方がない。この人にはとりあえず何でもない仕事を与えておこう」とは決して言われません。

むしろ、パウロはこう語っています。

しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。(コリント人への手紙第一12:18)

この箇所によれば、神様があなたを造られたとき、誤られることは決してありませんでした。さらに、この箇所の文脈をよく見てください。

もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょうか。もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。。。

もし全体がただ一つの部分だとしたら、からだはどこにあるのでしょうか。(17節)

簡単に言うと、神様はご自身が定めた場所にあなたを置かれました。だから、ほかのクリスチャンはあなたに、「あなたはいらない」と言うことはできません。むしろ、あなたはキリストのからだに欠かせない存在です。

この言葉を読んで、「でも、私が欠かせない存在だとは言えません。だって、誰だって私の役割を果たすことができるから」と思うかもしれません。

けれども、少し考えてみてください。あなたのつま先はある程度まで指の役割を果たすことができます。だから、ある意味では指は必要ないと言えるかもしれません。でも、つま先は指ほどその役割を上手に果たすことはできません。

また、腕が一本しかなくても、さまざまな仕事をこなすことはできるかもしれません。それでも、その一本の腕に負担をかけすぎると、疲れて力を失ってしまうかもしれません。

そのように、他の人があなたの仕事をすることができるかもしれません。けれども、彼らがあなたの賜物を持っていないなら、あなたほどその仕事を上手にこなせないでしょう。

また、彼らはあなたと同じ賜物を持っているかもしれません。さらに、彼らの賜物はあなたのものよりも優れているかもしれません。しかし、あなたが自分の役割を果たさなければ、彼らはやがて疲れ果て、燃え尽きてしまうかもしれません。

だから、神様から与えられた賜物を用いてください。神様はご自身の目的のために、あなたを今の場所に置かれました。誰かがあなたを見下すことを許さないでください。

また、自分自身を軽視しないでください。なぜなら、神様はゴミを作られません。あなたは決してゴミではありません。

では、キリストのからだの中で、あなたはどんな役割を担っているでしょうか。

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