これは聖書の中で最も有名な箇所の一つです。この箇所は愛について書かれていますが、パウロは特に結婚や恋愛関係について話しているのではありません。
むしろ、これまでの話をまとめています。つまり、私たちの賜物は教会を分裂させるためではなく、教会を成長させるためにあるのです。
だから、この箇所でパウロは、私たちがどのように賜物を用いるべきかを教えています。
パウロはその賜物の使い方を「はるかにまさる道」と呼びます。
そして、彼はこう語っています。
たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。
たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。
たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。(コリント人への手紙第一13:1-3)
簡単に言うと、私たちは世の中で最も素晴らしい賜物を持っていたり、自分自身を犠牲にしたり、すべての持ち物を貧しい人々に与えたりすることができます。けれども、神様への愛、また他の人々への愛を持っていなければ、それらは無意味です。
多くの人々は、神様や他の人々への愛のためではなく、自分のプライドのために賜物を使ったり、自分自身を犠牲にします。彼らが求めるのは、人からの誉れです。
しかし、そのプライドによって、彼らは他の人の賜物に嫉妬し、または自分と同じ賜物を持っていない人を見下します。
その結果、偽善に満ちた分裂した教会が生まれます。そのような賜物の使い方は、神様を喜ばせません。
私たちの賜物は、他者への愛の表現であるべきです。愛を持っていなければ、私たちの賜物の使い方は誤っています。
あなたはどうでしょうか。どのように賜物を使っていますか。
