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コリント人への手紙第一

教会に持ち寄る、与える心

コリント人への手紙第一14:26

教会を離れるとき、多くの人々はこう言います。「私はその教会から何の益も得られませんでした。」

つまり、彼らはエンターテインメントを期待し、教会のメンバーが常に世話をしてくれることを望んでいました。けれども、その期待が満たされなかったため、教会へ行くことに興味を失ってしまったのです。

それは自己中心的な考え方です。クリスチャンとして、そのように考えてはいけません。

パウロはこう語りました。

それでは、兄弟たち、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれが賛美したり、教えたり、啓示を告げたり、異言を話したり、解き明かしたりすることができます。

そのすべてのことを、成長に役立てるためにしなさい。(コリント人への手紙第一14:26)

パウロによれば、教会に来るとき、私たちはいつも「頂戴、頂戴、頂戴」という態度を持っていてはいけません。

むしろ、「私は何を人々に与えることができるだろうか。どのようにして人々を励まし、強めることができるだろうか」と考えるべきです。

パウロは、牧師たちだけがそのように考えるべきだとは言いません。むしろ、すべての人が何かを教会に持ち寄り、周りの兄弟姉妹に与えるべきだと言いました。

最も成熟したクリスチャンでも、洗礼を受けたばかりのクリスチャンでも、「私はどのように人々を祝福することができるだろうか」と考えるべきです。

若いクリスチャンでも、自分の心に響いた聖書の箇所を分かち合うことができます。子供でも、イエス様についての歌を歌うことができます。

ある日曜日、教会から帰る途中、私の娘は日曜学校で学んだ歌を歌いました。 「神様はどこですか。神様はここにおられます。あなたがどこへ行っても、神様はあなたと共におられます。」

だから、「今日、教会で何の益を得るのだろうか」と考え、自己中心的な態度で教会に行くのはやめましょう。

むしろ、どのように人を励まし、強めることができるかを考えましょう。

また、愛と善行を促すために互いに注意を払おうではありませんか。

ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ、励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。(へブル10:24-25)

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