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コリント人への手紙第一

希望があるからこそ

コリント人への手紙第一15:58

「私たちの人生は楽なものだ」と主張する人は誰もいません。

パウロもそのような主張はしませんでした。彼は石打ちに遭い、迫害され、投獄され、海を漂流したこともありました。

それほどの試練に直面しながらも、どうしてパウロは耐え抜くことができたのでしょうか。それは、彼が希望を持っていたからです。

パウロはコリントの人々にこう語りました。

死者が決してよみがえらないのなら。。。なぜ私たちも、絶えず危険にさらされているのでしょうか。

兄弟たち。私たちの主キリスト・イエスにあって私が抱いている、あなたがたについての誇りにかけて言いますが、私は日々死んでいるのです。

もし私が人間の考えからエペソで獣と戦ったのなら、何の得があったでしょう。

もし死者がよみがえらないのなら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」ということになります。(コリント人への手紙15:29-32)

しかし、復活があります。ある日、私たちが復活すると、新しい体は朽ちることなく、永遠に生きるものとなります。だからこそ、パウロは私たちを励まします。

ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。

あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。(コリント人への手紙第一15:58)

この世では、私たちは様々なことで容易に動揺してしまいます。私たちの悩みや試練、心配事に心を揺さぶられることがあります。

そうすると、クリスチャンとして歩み続ける意味があるのか、主に仕え続ける価値があるのか、疑問に思うこともあるかもしれません。

しかし、パウロは、私たちが人生の嵐の中で揺れ動かされないようにと励まします。むしろ、彼は私たちが神様に忠実に従い続けるよう促しているのです。なぜでしょうか。

それは、最終的に私たちの努力が報われると知っているからです。そして、ある日、私たちがイエス様のもとへ行くと、イエス様は微笑みながら私たちにこう言われます。

「よくやった。良い忠実なしもべだ。」

そのとき、イエス様のみ顔を見れば、私たちの試練や苦しみが「軽い患難」であったと気付くでしょう。また、「重い永遠の栄光」と比べれば、これまでの苦しみが取るに足りないものであることを悟るのです。

私は、リビングバイブルの詩篇 17:15の訳がとても好きです。

私は天で目覚めるとき、
この上ない満足感にひたるでしょう。
神の御顔をじかに見るからです。

だから、失望しそうなときや、困難のゆえに心が重くなるときは、この歌の歌詞を心に留めましょう。

Turn your eyes upon Jesus.
あなたの目をイエス様に向けましょう。
Look full in his wonderful face.
栄光に輝くイエス様の御顔を仰ぎ見ましょう。
And the things of earth will grow strangely dim in the light of his glory and grace.
そうすれば、この世のものは、イエス様の栄光と光の前にかすんで見えるでしょう。

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