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コリント人への手紙第二

試練の中の慰め

コリント人への手紙第二1:1-10

これは、聖書の中で私が最も好きな箇所のひとつです。パウロはこう書きました。

私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。

私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです。(コリント人への手紙第二1:3-5)

私たちが試練や苦しみに直面するとき、神様が本当に私たちを愛しているのか疑問に思うことがあります。しかし、パウロによれば、神様は「あわれみ深い父」です。

つまり、神様は私たちの苦しみを見ても無関心ではありません。むしろ、憐れみに満ちた心をもって、深く私たちを思っておられます。

イエス様も、苦しむイスラエルの人々を見たとき、同じ心を持っておられました。福音書の著者たちは何度も「イエスは深くあわれみ…」と記しています。

この点において、イエス様は天の父の性格を完全に映し出しておられます。

さらに、パウロはもう一つのことを語っています。彼によれば、神様は「あらゆる慰めに満ちた神」です。

神様は私たちに対して憐れみを感じるだけでなく、御手を伸ばして私たちに触れてくださいます。

ある日、ツァラアトを患う人がイエス様のもとにやって来ました。(マタイ8章)

イエス様は深く憐れみ、手を伸ばしてその人に触れました。おそらく、その人は何年もの間、誰にも触れられていなかったでしょう。なぜなら、周囲の人々はその病気にかかることを恐れていたからです。

しかし、イエス様が触れたことで、その人は慰められ、癒されました。

そして、パウロによれば、私たちが苦難に満ちているように、キリストによって私たちの慰めも豊かに与えられています(5)。

パウロは自身の経験をもとに語りました。彼は、自分の力では耐えられないほどの深い苦しみを経験しました。

私たちはよく耳にします。「神様は私たちに耐えられない試練を許しません。」

ある程度まではその言葉は正しいですが、実は完全ではありません。

神様は私たちが自分の力では耐えられない試練を許されます。私たちは「耐えられないほどの圧迫を受ける」ときがあるかもしれません。

さらに、「生きる望みさえ失うほどの圧迫を受ける」こともあるかもしれません。(8)

なぜ、神様はそのような試練を許されるのでしょうか。

パウロはその理由を説明しています。

それは、私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです。(9)

要するに、神様は私たちが自分の力だけではこの人生を歩むことができないことを学ぶために、こうした試練を許されるのです。

しかし、私たちが神様に頼るなら、神様が死者をよみがえらせるほどに力強い方であることを知るようになります。

そして、神様はその恵みによって、私たちを絶望の深い穴から引き上げ、新しい希望と命を与えてくださいます。

神様はパウロにこう言われました。

わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。(第二コリント12:9)

だから、私たちは試練を通過した後、振り返ると、神様が常に私たちと共におられたことに気づきます。だから、未来の試練に直面するとき、私たちはその同じ神がもう一度私たちを救ってくださるという希望を持つことができます。

パウロはこのことを学び、確信を持ってこう語りました。

神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。(10)

あなたはどうでしょうか。果てしない試練に直面しているのでしょうか。もう耐えられないと感じているかもしれません。

しかし、神様はあなたを愛しておられ、決して見捨てることはありません。そのことを心に留めておきましょう。だからこそ、自分の力に頼るのではなく、神様の力に頼りましょう。

そうすれば、神様の恵みによって、あなたはその試練を乗り越えることができます。

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