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コリント人への手紙第二

自分のことに焦点を当てないこと

コリント人への手紙第二1:6-7

この箇所を読むと、私はパウロがキリストの模範に従っていたことに気づきました。

もし、イエス様がただ快適な生活を送ることに関心があったなら、この世には来られなかったでしょう。

飼葉おけに寝ることもなかったでしょう。貧しい大工の家で成長することもなかったでしょう。枕する所のない日々を経験することもなかったでしょう。そして、十字架へと向かうこともなかったでしょう。

しかし、イエス様はそれらすべてを経験されました。なぜでしょうか。

それは、私たちの慰めと救いのためです。

私たちは罪のゆえに、また、この世の悪のために、惨めな存在でした。さらに、破滅へと向かう道を歩んでいました。イエス様はその状況をご覧になり、天国の安楽な生活を捨てて、私たちのために苦しみを選ばれました。

パウロはイエス様の模範を見て、従いました。

コリントの人々や他の人々のために、彼は遭難や投獄、飢えや迫害を経験しました。なぜでしょうか。それは、彼が自分の楽な人生に焦点を当てず、むしろ周囲の人々の苦しみと必要に目を向けていたからです。

また、パウロが慰めを受けたときも、彼はただ自分自身に焦点を当てることはありませんでした。

彼の願いは、コリントの人々が彼の経験を見ることで励まされることでした。

つまり、彼らがこの世の試練はつらくても、一時的なものであることを理解することです。なぜなら、彼らは、パウロ自身も試練の中で神様の平安と喜びを知ったことを見たからです。

だからこそ、コリントの人々は、自分たちの試練の中で、最終的に慰めを受けるという希望を持つことができたでしょう。そして、その希望が彼らに耐える勇気を与えたのです。

自己中心になることは簡単です。神様の愛をスポンジのように吸収し、ただ楽な人生を望むことは簡単です。

しかし、神様は私たちがそのような態度を取ることを望んでおられません。むしろ、神様は私たちがイエス様の模範に従い、たとえ苦しみが伴うとしても、自分の快適な生活を手放し、周囲の人々の救いのために働くことを望んでおられます。

とはいえ、イエス様の視点を持たなければ、私たちは決してそのように生きることはできないでしょう。

イエス様は周囲の人々の苦しみをご覧になりました。だからこそ、十字架へと進んで行かれたのです。

あなたはイエス様の視点を持っているでしょうか。

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