カテゴリー
コリント人への手紙第二

私たちが神様に信頼できる理由

コリント人への手紙第二1:18-22

試練のとき、神様に対する信仰を失うのは容易なことがあります。

パウロもそのような経験をしたでしょうか。特に、彼が耐えがたいほどの激しい圧迫を受け、生きる望みさえ失いかけたとき、信仰を失う危機に直面したでしょうか。(コリント人への手紙第二1:8)

最終的に、信仰を失うのではなく、その試練を通して、パウロたちは神様に頼ることを学びました。(9節)

では、彼らはどのようにして信仰を保つことができたのでしょうか。また、私たちはどのようにして自分の信仰を守ることができるでしょうか。

パウロはこう記しました。

神の真実にかけて言いますが、あなたがたに対する私たちのことばは、「はい」であると同時に「いいえ」である、というようなものではありません。(コリント人の手紙第二1:18)

その言葉の中で、私の心を打つことの一つは、神様が真実な方であるということです。

試練の中で振り返ると、私たちはその真理を実感するはずです。

しかし、自分の人生だけでなく、過去のクリスチャンや現代のクリスチャンの歩みを見ても、神様の真実さがよく分かります。

さらに、神様は私たちの罪のためにイエス様を送られたとき、ご自身の約束を守ることで、その真実さを証明されました。

パウロはこう言いました。「私たちのことばは、『はい』であると同時に『いいえ』である、というようなものではありません。」

要するに、福音は私たちが頼ることのできるものです。そのメッセージは決して変わりません。

神様は私たちに、「イエスを信じれば、あなたは救われる」と約束されたので、天国の門で突然「やっぱりだめです。私の気が変わりました。入ってはいけません」と言われることは決してありません。

人は約束を破ることがあるかもしれませんが、神様の約束は決して変わりません。神様は真実な方だからです。

だから、パウロはこう語りました。

たとえすべての人が偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。(ローマ書3:4)

パウロは続けてこう言います。

私たち、すなわち、私とシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「はい」と同時に「いいえ」であるような方ではありません。

この方においては「はい」だけがあるのです。神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。

それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。(コリント人の手紙第二1:19-20)

要するに、この絶えず変わり続ける世界にあっても、イエス様は決して変わりません。言い換えると、「イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。」(ヘブル 13:8)

イエス様にあって、神様の約束はすべて確認されています。

イエス様は良い知らせを宣べ伝え、病を癒し、私たちの罪のために死なれたとき、メシアについての預言を成就されました。そして、やがて来る日には、永遠の国を開始し、残された預言をも成就されるでしょう。

だからこそ、私たちは神様の約束をなおさら信じることができます。

すなわち、試練のとき、神様が私たちと共におられるという約束です。また、この試練がただ一時的なものであるという約束です。そして、私たちは勝利を得て、この試練から精錬された金のようになって出てくるという約束です。

だから、イエス様にあって、私たちは「アーメン。あなたがそれらのことを約束されたので、必ずその約束を守られると信じます。」と言うことができます。

しかし、パウロはさらにこう語ります。

私たちをあなたがたと一緒にキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。

神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。(コリント人の手紙第二1:21-22)

神様は私たちに聖霊という油を注がれました。神様はご自身の目的のために私たちを聖別されました。そして、神様の保証の証印を私たちに押されました。

その証印を通して、神様は宣言されます。「この人は私のものです。私のひとり子の血によって、この人を贖いました。」

聖霊様は、神様がすべての約束を守られることの確かな保証です。

だから、どんな試練に直面しても、神様に信頼しましょう。

人は私たちを失望させることがあるかもしれませんが、神様は真実な方です。

あなたはどうでしょうか。神様に信頼しますか。

コメントを残す