時々、私たちは前回の記事のような聖書の箇所を読んで、「私たちはキリストの香り」や「私たちは神様の祭司」といった言葉に出会います。
それを読むと、私たちはこう疑問に思うかもしれません。
「私はどのようにして神様の祭司になれるのだろうか。どうすればキリストの香りを放つことができるのだろうか。私は特別な資格を持っていないし、神学校に通ったこともない。牧師でも宣教師でもない。ただの普通のクリスチャンなのに。」
実際のところ、キリストのために人々に影響を与える資格を持っている人は誰もいません。
たとえ神学校で学び、ミニストリーの豊富な経験を持っていたとしても、その教育や経験が人の心を変える力を与えるわけではありません。
人の心を変えることができるのは、ただ神様だけです。パウロ自身も、そのことを理解していました。
パウロは、私たちが周りの人々にとってキリストの香りであると語った後、こう問いかけました。
このような務めにふさわしい人は、いったいだれでしょうか。(コリント人への手紙第二2:2:16b)
その答えは明白です。その務めにふさわしい人は誰もいません。なぜなら、自分の知恵と力だけでは、人々の心を変えることはできないからです。私たちにできることは、ただパウロの模範に従うことだけです。
誠実な者として、また神から遣わされた者として、神の御前でキリストにあって語るのです。(2:17b)
私たちにできることは、それしかありません。神様から与えられた大宣教命令を果たさなくてはなりません。誠実をもって周りの人々に語るべきです。なぜなら、私たちは神様の前で責任を問われるからです。
そして、私たちはその結果を神様の御手に委ねます。私たちが自分の役割を果たせば、神様もご自身の役割を果たされます。
だから、パウロはこう書きました。
私たちはキリストによって、神の御前でこのような確信を抱いています。
何かを、自分が成したことだと考える資格は、私たち自身にはありません。私たちの資格は神から与えられるものです。
神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。
文字は殺し、御霊は生かすからです。(4-6)
パウロは、はっきりと語ります。私たち自身には、人々に影響を与える資格はありません。むしろ、その資格は神様から与えられるものです。
私たちが神様に仕えるとき、神様は私たちに必要な資格を与えてくださいます。
だからこそ、私たちは確信を持つことができるのです。私たちは自分の賜物や能力に頼るのではなく、それらを与えてくださった神にこそ頼るのです。神様だけが、最も頑なな心を変えることができます。
この真理を心に留めましょう。私たちは人の心を変えることはできません。しかし、神様はそれをなされます。
そして、私たちが神様の命じられたことを忠実に行うならば、私たちは人々に影響を与えることができるのです。
