パウロは第4章を希望のメッセージで締めくくります。それは希望のメッセージです。
パウロは様々な困難に直面しました。希望を失うことは簡単だったでしょう。彼はあらゆる苦しみの中にあり、外には戦いがあり、内には恐れがありました。(コリント人への手紙第二7:5)
私たちも同じような経験をすることがあるでしょう。ただ試練に直面するだけでなく、自分の感情とも戦わなければなりません。恐れやフラストレーション、悲しみ、そして苦しみと向き合いながら生きているのです。
自分の厳しい状況の中で、パウロは途方に暮れることもありました。
信仰のゆえに、彼は迫害され、石打ちにされることもありました。
さらに、コリントの教会には様々な問題があり、時には、自分の努力が無駄なのではないかと疑問に思うこともありました。
それでも、パウロは希望を持ち続けました。彼は途方に暮れても、神様を求めるならば、脱出の道が備えられていることを知っていました。(第一コリント10:13)
彼は迫害されても、神様に見捨てられないことを確信していました。
また、倒れても、滅びることはないと知っていました。
なぜ、このような厳しい状況の中でも、パウロは希望を持ち続けることができたのでしょうか。
それは、神様が確かな計画を持っておられることを、パウロが確信していたからです。彼は1節にこう言いました。
こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めについているので、落胆することがありません。(コリント人への手紙第二4:1)
パウロは、神様が彼にミニストリーを委ねられたことを知っていました。そして、そのミニストリーが無駄ではなく、神様がご自身の目的を果たされると信じていました。
さらに、パウロは、そのミニストリーを託されるに値しないことを自覚していました。なぜなら、以前の彼はイエス様とその教会を憎んでいたからです。
しかし、憐れみによって、神様はパウロに真理を示してくださいました。実際、神様はパウロにこう言われました。「あなたは私の名のために苦しみます。」(使徒の働き9:16)
だからこそ、パウロは、自分の苦しみが神様を驚かせるものではないことを知っていました。神様は決して、「え?そんな大変なことは全然予想していなかった。ごめんね。」とは言われませんでした。
むしろ、神様はパウロが経験するすべての試練をあらかじめ知っておられました。
だからこそ、パウロは確信していました。罪の暗闇の中から彼を救い出し、命の光へと導いた神様の憐れみは、試練の暗闇からも救い出し、栄光の光へと導いてくださるのだと。
それゆえ、パウロはこう語りました。
ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。(16-18)
要するに、私たちが苦しんでいても、肉体的にも精神的にも崩れるように感じていても、神様は毎日私たちの人生に働いておられます。
その試練を通して、神様は私たちをイエス様の姿へと変え、私たちは神様の栄光を映し出します。(3:18)
では、試練の中で、どのように希望を保つことができるでしょうか。私たちは自分の困難に焦点を当てるのではなく、目に見えない方に目を向けるべきです。
神様の目的が分からないこともあるかもしれませんが、神様が良い計画を持っておられることを信じるべきです。
また、私たちの試練は永遠に続くものではないことを忘れてはなりません。神様がその試練を乗り越えるよう導いてくださることを信じるべきです。
そして、私たちが諦めずに歩むならば、最終的に神様のうちにも、私たちのうちにも、私たちの状況のうちにも、神様の栄光を見ることができるのです。
パウロはこう語りました。
私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べ物にならないほど、重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。(17)
それを覚えておきましょう。神様はあなたの試練に驚いておられません。神様は確かな計画を持っておられます。
だからこそ、神様に信頼してください。神様がご自身の目的を成し遂げられることを信じてください。そうすれば、希望を持ち続けることができます。
