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コリント人への手紙第二

不信者との不釣り合いなくびき(2)

コリント人への手紙第二6:14-7:1

前回の記事では、不信者とつり合

わないくびきをともにしないことの重要性について考えました。つまり、ノン・クリスチャンの影響によって清い人生を送ることができず、神様に忠実に仕えることが難しくなるなら、その人との関係において少し距離を取ることが必要かもしれません。

では、なぜそれが重要なのでしょうか。パウロはこう述べています。

不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。

正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。

信者と不信者が何を共有しているでしょう。

神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。(コリント人への手紙第二6:14-16a)

簡単に言えば、不信者と私たちの考え方や価値観には大きな隔たりがあり、その溝を橋で埋めることはできません。その理由は、私たちが異なる存在として属しているからです。

要するに、私たちは生ける神の宮であり、神様が私たちのうちに住んでおられます。

一方で、彼らは偶像の宮です。彼らは仏壇で拝まないかもしれません。それでも、心の王座から神様を追い出し、代わりに別のものをその王座に据えています。例えば、個人の幸せ、お金、持ち物などです。

そして、神様の考え方がその偶像の邪魔になると、彼らは神様を拒み、自分勝手に生きていきます。

もし彼らがそのように生きているのなら、どうして私たちが彼らの影響を受けるべきでしょうか。彼らはサタンの偽りを受け入れました。 「あなたがたが神のようになります。」(創世記3:5)

エバに言ったように、サタンは彼らにもこう語りかけます。

「あなたには神様の勧告など必要ありません。あなたは十分に賢いのです。幸せを得るために、神様のもとへ行く必要はありません。ほかのものによって、あなたは幸せになれるでしょう。神様のためではなく、自分のために生きたほうがよいのです。」

そして、サタンの偽りを信じると、彼らは実際にはサタンのために生きることになり、周囲の人々にもサタンに従うよう促してしまいます。

しかし、神様は私たちを自分の子供となるように呼ばれました。神様は、私たちがこの世の人々とは異なる存在となるように招いておられます。神様は、私たちが聖なる者となるように導いておられます。

だからこそ、パウロはこう語ります。

神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らから離れよ。──主は言われる──汚れたものに触れてはならない。

そうすればわたしは、あなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。──全能の主は言われる。」(6:16b-18)

そして、パウロはその話を次のようにまとめています。

愛する者たち。このような約束を与えられているのですから、肉と霊の一切の汚れから自分をきよめ、神を恐れつつ聖さを全うしようではありませんか。(コリント人への手紙第二7:1)

私たちは神様との素晴らしい関係を持つように招かれています。しかし、その関係を望むなら、私たちは罪から自分自身を清めるべきです。そのために、時には、私たちに悪い影響を与える人々から距離を保つ必要があるかもしれません。

あなたはどうでしょうか。神様への愛と敬意をもって、清い人生を歩んでいるでしょうか。あなたの人生は神様に仕えるものとなっているでしょうか。

もしかすると、この世に溶け込むあまり、知らず知らずのうちに周囲の人々の影響を受けてしまっているかもしれません。

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