次の箇所に進む前に、この箇所に関して多くの人々が教えている応用について触れておきたいと思います。それは、ノン・クリスチャンとの交際や結婚についてです。
ノン・クリスチャンとデートしてはいけないと教える人もいます。
私はそこまで言い切りませんが、多くの場合、ノン・クリスチャンと交際することは良い選択ではなく、罪へと導かれる可能性が高いのです。
クリスチャンがノン・クリスチャンと交際し、良い結果を得たケースもあります。しかし、大多数の場合、その結果は望ましくないものでした。
ノン・クリスチャンと交際するとき、最も大切な問いかけは、「誰が誰に影響を与えているのか」ということです。
あなたの影響によって、その人は神様に近づいているでしょうか。あるいは、相手の影響によって、あなたは徐々にイエス様から離れてしまっているでしょうか。
あなたの影響によって、相手は神様をもっと知りたいと願っているでしょうか。もしかすると、相手の影響によって、あなたは自分の純潔を失ってしまっているのではないでしょうか。
相手とデートするために、礼拝を欠席することがあるでしょうか。
相手と過ごす時間が多すぎて、ほとんど聖書を読まず、祈ることも少なくなっているでしょうか。
あなたは相手との肉体的な誘惑に負けてしまっているでしょうか。
もし「はい」と答えるなら、その人との関係を断つことが最善かもしれません。
それは厳しい勧告でしょう。しかし、なぜクリスチャンにとって、その忠告を受け入れることが難しいのでしょうか。
それは、その関係の問題が、単なる知識の問題ではなく、深い感情的な要素を含んでいるからです。
結婚についてですが、私たちは異性と肉体的に一つとなるように造られただけでなく、感情的にも深く結びつくように造られています。
相手と付き合うことで、その感情的な結びつきが始まります。
「その人が好き!その人も私を好き!」
恋人がいる人は皆、その幸せを知っています。そして、その関係が続くにつれて、その感情はますます強くなります。相手への強い感情を持ちながらも、自分の価値観と信仰を守ることはできるでしょうか。それは非常に難しいことです。
恋人からのプレッシャーに直面したとき、自分の価値観と信仰を貫くことができるクリスチャンは多くありません。
そして、たとえ信仰を強く持っていたとしても、相手との関係を断たなければならないとき、必ず失恋の痛みを経験することになるでしょう。
パウロは本来別の状況について語っていましたが、その言葉をノン・クリスチャンとの交際に適用して考えてみたいと思います。
「ノン・クリスチャンと交際する人々、また、ノン・クリスチャンと結婚する人々は、苦難を身に招くでしょう。私はあなたがたを、そのような目にあわせたくないのです。」(第一コリント7:28)
相手がクリスチャンになる可能性はあるでしょうか。もちろん、その可能性はあります。
けれども、あなたのために命を捧げられたイエス様に対して不忠実になる危険性は非常に高いのです。残念なことですが、私はそうした事例を何度も見てきました。
クリスチャンの女性にとって、ノン・クリスチャンとの交際はさらに難しいものです。聖書によれば、結婚においては男性が導くべき存在とされています。そのため、交際中のカップルも、そのような関係性を育むことが望ましいでしょう。
しかし、クリスチャンの女性がノン・クリスチャンの男性の導きに従うこと、とりわけ霊的な導きに従うことは、不信者とつり合わないくびきをともにすることにつながります。
その一方で、もし女性が彼の導きに従わなければ、その関係が不自然に感じられるかもしれません。なぜなら、神様の御計画において、男性が導く役割を担うからです。
それでもなお、クリスチャンの女性はノン・クリスチャンとの交際において、相手の霊的な導きには決して従うべきではありません。
そして、クリスチャンがノン・クリスチャンと結婚することは、神様の命令に反する行為です。不信者とつり合わないくびきをともにすることになるからです。
そのため、ノン・クリスチャンとの交際を考える際には、慎重である必要があります。その関係が深まるにつれ、相手への感情が強くなり、罪に陥る危険性が高くなるからです。
あなたはどうでしょうか。あなたは不信者とつり合わないくびきをともにしているでしょうか。
