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コリント人への手紙第二

喜んで与える心

コリント人への手紙第二8:1-5

気前のいい心。人に何かを与えること。

正直に言うと、私はまだそのような心を持てるよう努めているところです。もしかしたら、私が末っ子だからかもしれません。あるいは、私の罪深い心のせいかもしれません。どうしてか分かりませんが、人に与えることは私にとって苦手なのです。

それでも、私はそのような心を持つべきだと思います。なぜなら、すべてのクリスチャンがそのような心を持つべきだからです。

マケドニアの人々は、そのような気質を持っていました。パウロによれば、彼らは激しい試練の中にあっても、また貧しい状況にあっても、エルサレムで苦しんでいるクリスチャンたちのために献金させてもらうことを願いました。

おそらく、パウロは彼らにこう言ったでしょう。「大丈夫です。あなたたちの経済も厳しい状況ですし、他の教会の人々も献金しています。それで十分だと思います。」

それでも、マケドニアの人々は「聖徒たちを支える奉仕の恵み」に参加させてもらうことを願いました。彼らはその奉仕を恵みと考えました。

私たちが苦しんでいるとき、自分自身のことに焦点を当てるのは簡単です。試練の中で、ただ自分のことだけを考え、どうすれば困難を乗り越えられるかと思い悩むものです。けれども、マケドニアの人々はそのように考えませんでした。

むしろ、彼らについて、パウロはこう言いました。

そして、私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました。(コリント人への手紙第二8:5)

それが、ささげることの本質です。まず、私たちは自分自身を神様に献げ、そして他の人々のためにも心を委ねることです。

イエス様はこの原則を次のように教えました。

あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(マタイ22:37)

また、

あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。(マタイ22:39)

だから、もしあなたがケチな態度を持っているなら、自分自身にこう問いかけるべきです。

「私は、心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、主を愛しているだろうか。私は隣人を自分自身のように愛しているだろうか。もしかしたら、神様よりも、また隣人よりも、お金を愛しているのではないだろうか。」

もう一つの大切な問いかけは次のようなものです。

「私は、自分のことしか見ることができないほど、自分の問題に焦点を当てているのだろうか。それとも、マケドニアの人々のように、自分の問題だけでなく、他の人々の必要も見ることができるだろうか。」

あなたの心を見つめたとき、何が見えるでしょうか。

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