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コリント人への手紙第二

献金の原則

コリント人への手紙第二9:6-7

この箇所では、私たちは二つの献金の法則を見ることができます。

パウロはこう言いました。

私が伝えたいことは、こうです。わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。(コリント人への手紙第二9:6)

もちろん、これは人生のあらゆる事柄に関わる大切な原則です。

例えば、結婚にわずかしか蒔かなければ、刈り入れるものもわずかになります。

つまり、結婚に時間や努力を惜しめば、その結婚から得られるものはほんのわずかであり、やがて枯れ果ててしまうかもしれません。けれども、結婚に豊かに蒔けば、大きな祝福を刈り入れることができます。

子育てにおいても、この原則は非常に重要です。もし、子供に対してわずかしか種を蒔かなければ、彼らが成長しても、あなたとの親しい関係をあまり求めないかもしれません。けれども、子供に豊かに蒔けば、成長した後も親しい関係を築くことができるでしょう。

とはいえ、この箇所でパウロが語っているのは献金についてです。多くのクリスチャンは、「十一献金は新約聖書の教えではないのだから、どうして献げるべきなのだろうか」と考えます。

しかし、教会にわずかしか蒔かなければ、その結果はどうなるでしょうか。

牧師は自分の家族を支えるために、アルバイトをしなければならなくなるかもしれません。そのため、教会の人々に仕える時間は大幅に減ってしまうでしょう。

また、教会は地域の人々に働きかけるための十分な財源を持てないかもしれません。さらに、あなたの家族に仕えるための資源も不足するでしょう。

けれども、あなたが豊かに教会に蒔けば、教会はあなたや家族、そして地域の人々にとって大きな祝福となるでしょう。

もしあなたが「自分の牧師や教会は十分に機能していない」と嘆いているなら、自分自身に問いかけてみてください。「私は豊かに教会に蒔いているだろうか。」

そして、パウロは続けてこう言います。

一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。(7)

献金するとき、「献金しなくてはならない」という義務感を持つべきではありません。また、強いられるような気持ちで献金するのも正しくありません。

むしろ、喜びに満ちた心を持ち、惜しみなく献金するべきです。

「神様、あなたが多くの恵みを与えてくださり、ありがとうございます。あなたはイエス様を送ってくださいました。それは本当に素晴らしい賜物です。ですから、この献金を通して、私の感謝を表したいのです。」

このような心を持って献金することが大切です。

そのような心を持てば、献金の額が多くても少なくても、神様は喜んで受け入れてくださいます。

ルカの福音書21:1-3では、やもめの献金はほんのわずかな額でした。しかし、彼女は心から献げたため、イエス様はその献金を金持ちの多額の献金よりも喜ばれました。

あなたはどうでしょうか。どのような心で献金を捧げていますか。

あなたはわずかに蒔いているでしょうか。それとも、豊かに蒔いているでしょうか。

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