カテゴリー
コリント人への手紙第二

自立の問題

コリント人への手紙第二12:7-10

私の両親は、私が自立できるように育てました。私は親元を離れて数年後、父はこう言いました。「私がうれしいのは、おまえと兄姉が決して私たちにお金をねだらないことだよ。」

親子関係において、自立は良いことだと思います。私たちは皆、成長し、やがて両親から独立しなければなりません。

しかし、神様との関係において、自立は決して良いことではありません。私たちが神様から独立できる瞬間はありません。なぜなら、私たちは常に神様を必要としているからです。

この人生を歩むために、私たちは常に神様の力を必要とします。仕事、人間関係、ミニストリーにおいて、私たちは必ず神様を必要とします。

自立の問題は、私たちの人生の中で神様の力を本当に経験できなくなることです。神様からの独立を求めると、神様の力にアクセスできなくなります。

パウロはこの真理を学び、それをコリントの人々に教えようとしました。

パウロには素晴らしい霊的な経験がありました。彼は天国を見ました。

だから、パウロにとって「私はクリスチャンとしてたどり着いた。もう神様の助けは必要ないでしょう。私は霊的に成熟しているので、自分の力でこの人生を歩むことができるでしょう」と考えるのは容易だったでしょう。

そういうわけで、パウロが高慢にならないように、神様は彼の肉体に「とげ」を与えられました。そのとげが何であったのかについて、パウロは具体的に説明しませんでした。

もちろん、それは文字どおりのとげではありませんでしたが、それは健康上の問題だったかもしれません。(多くの人は、パウロが目の疾患を抱えていたと考えています。)あるいは、それは霊的な試練だったのかもしれません。

いずれにせよ、パウロは三度、主に願いました。「このとげを私から取り去ってください。」

しかし、神様はこう答えられました。

わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。(コリント人への手紙第二12:9)

要するに、「この問題を取り去らなくてもよい。なぜなら、あなたは私の恵みを持っているからである。そして、あなたの弱さのうちに、私の力は完全に働く。」

神様が意味されたものは何でしょうか。

私たちは弱いとき、自分の力に頼らず、神様の力に依り頼まなければなりません。私たちが自分の力に頼り続ける限り、神様の力は私たちの人生において完全に働くことができません。

だから、パウロはこう言いました。

ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。

というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(9b-10)

なぜ、パウロは自分の弱さを誇ったのでしょうか。それは、弱さゆえにパウロがさらに神様に依り頼まなければならなかったからです。

その結果、彼は以前にもまして、神様の力を知るようになりました。それだけではなく、パウロと神様との関係はさらに深まったことでしょう。

あなたはどうでしょうか。自分の力だけで人生を歩もうとしていませんか。もしそうであれば、神様の力を経験することも、神様との親しい関係を築くこともできません。

私自身、神様の力と、神様との親しい関係の両方を持ちたいと願っています。

だからこそ、自分の自立を誇るのではなく、毎日、神様の力に依り頼むことを学びましょう。

コメントを残す