この箇所で、パウロはコリントの人々に警告するだけでなく、私たちすべてにも警告を与えています。
パウロはこう言いました。
私があなたがたのところに行くのは、これで三度目です。二人または三人の証人の証言によって、すべてのことは立証されなければなりません。
以前に罪を犯した人たちとほかの人たち全員に、私は二度目の滞在のとき、前もって言っておきましたが、こうして離れている今も、あらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったときには、容赦しません。
こう言うのは、キリストが私によって語っておられるという証拠を、あなたがたが求めているからです。
キリストはあなたがたに対して弱い方ではなく、あなたがたの間にあって力ある方です。キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられます。
私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対しては、神の力によってキリストとともに生きるのです。(コリント人への手紙第二13:1-4)
以前、コリントに行ったとき、パウロは自らの権威を振るうことなく、コリントの人々の罪深い態度を悲しみました。しかし、彼が彼らのために自らの人生を犠牲にしたにもかかわらず、コリントの人々はパウロを拒絶しました。
それでも、パウロは彼らに警告しました。「私は弱い者として来るのではありません。むしろ、私は神様の力を持ち、神様から受けた権威をもって、あなたたちを裁きます。」
そして、パウロはこう言いました。
以前に罪を犯した人たちとほかの人たち全員に、私は二度目の滞在のとき、前もって言っておきましたが、こうして離れている今も、あらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったときには、容赦しません。(2)
イエス様は、同じようなことを私たちに語られます。
イエス様は、以前この世に来られたとき、ある意味で弱い方として来られました。貧しい大工として、また巡回説教者として歩まれました。イエス様は、勝利する王としてではなく、十字架につけられた救い主として来られました。
しかし、神様の力によって、イエス様はよみがえられました。
そして、ある日、イエス様は再びこの世に戻られます。そのとき、イエス様は弱い方としてではなく、力を持つ方として戻られます。さらに、イエス様を拒絶する人を、もはや赦されません。むしろ、イエス様は彼らを裁かれます。
多くの人々は、イエス様を私たちを愛しておられる神の御子と見なします。そして、その愛を示すために、イエス様がすべてを犠牲にされたことに思いを巡らせます。もちろん、それは真実です。
しかし、多くの人々は、大切なことを忘れがちです。それは、イエス様がこの世に戻られるとき、すべての人々を裁かれるということです。イエス様は、ご自身を拒む者に対して、もはや憐れみを示されません。
その日、イエス様はすべての人々に明らかにされます。ただ神の羊としてだけでなく、ユダの獅子として、そして永遠にこの世を治める王として認められます。そして、イエス様の正当な統治に逆らう者は、イエス様の怒りを知ることになるのです。(ルカ19:11-27)
だからこそ、私たちは自らに問いかけるべきです。私たちはイエス様の権威に従うでしょうか。それとも、イエス様に逆らい続けるでしょうか。 神様は忍耐深いお方です。しかし、その忍耐は永遠に続くものではありません。
だから、決して神様の忍耐を試してはなりません。むしろ、今のうちに、私たちができる限り神様の恵みと憐れみを受け入れましょう。
