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ガラテヤ人への手紙

アブラハムの真の子孫

ガラテヤ人への手紙3:6-14

パウロがこの箇所を書いたとき、ヨハネの福音書第8章におけるイエス様とユダヤ人たちの議論を思い浮かべていたでしょうか。私には分かりませんが、パウロは同じテーマについて語っています。つまり、アブラハムの真の子孫とは誰かということです。

ユダヤ人たちは自分たちこそアブラハムの真の子孫であると考えていました。なぜなら、アブラハムは実際に彼らの先祖であり、彼らは神様がモーセに与えてくださった律法を持ち、それに従おうとしていたからです。

そこでイエス様は彼らにこう言われました。「もしあなたが私の教えを信じ、それに従うなら、あなたは真理を知り、真理はあなたを自由にする。」すると、彼らは驚いて答えました。

彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、今までだれの奴隷になったこともありません。どうして、「あなたがたは自由になる」と言われるのですか。」(ヨハネの福音書8:33)

そして、イエス様とユダヤ人たちは、アブラハムの真の子孫について長い間議論しました。

イエス様は彼らに言われました。「あなたがたはまだ罪を犯しています。アブラハムの子供であるからすでに自由だと主張していますが、実際にはまだ罪の奴隷です。

私は、あなたがたを罪から解放する者です。私があなたがたを自由にしたなら、あなたがたは本当に神様の子どもとなるのです。」(ヨハネ8:34-36)

ところが、ユダヤ人たちはそれを聞いてもなお、自分たちこそアブラハムの子孫であると主張し続けました。そこでイエス様は彼らにこう言われました。

あなたがたがアブラハムの子どもなら、アブラハムのわざを行うはずです。

ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに語った者であるわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことをしませんでした。(ヨハネ8:39-40)

要するに、アブラハムは神様の言葉を聞いたとき、すぐにその言葉を信じました。信仰によってその言葉を受け入れたため、彼は救われました。その結果、彼は神様の子供と呼ばれるようになりました。

その一方、ユダヤ人たちはイエス様を拒絶し、その言葉を信じなかったため、自分たちこそアブラハムの真の子孫ではないことを証明してしまいました。

今日の箇所で、パウロはこのことを教えています。彼はこう言いました。

「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあるとおりです。ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。

聖書は、神が異邦人を信仰によって義とお認めになることを前から知っていたので、アブラハムに対して、「すべての異邦人が、あなたによって祝福される」と、前もって福音を告げました。

ですから、信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。(ガラテヤ人への手紙3:6-9)

パウロによれば、アブラハムが神様に義と認められたのは、律法に従ったからではありません。なぜなら、その当時、律法はまだ存在していなかったからです。それに、アブラハム自身も罪を犯したことがありました。

それでも、最終的にアブラハムは神様とその約束を信じたため、神様に義と認められました。

アブラハムの真の子孫は、彼と同じように生きます。私たちは失敗するときもありますし、罪を犯すこともあります。

私たちは、神様の律法を完全に守ることで義と認められるのではありません。むしろ、イエス様を信じることによって、神様に義と認められるのです。

実際のところ、もし私たちが自分の正しい行いによって義と認められようと努めるなら、パウロによれば、私たちはかえって呪われてしまいます。

律法の行いによる人々はみな、のろいのもとにあります。

「律法の書に書いてあるすべてのことを守り行わない者はみな、のろわれる」と書いてあるからです。(10)

しかし、良い知らせは、イエス様が私たちの代わりに呪われたということです。パウロはこのことを説明します。

キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。

「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。(13)

十字架で死なれたとき、イエス様は律法の呪いをすべて受け、私たちに対する神様の怒りを担われました。そして、パウロによれば、イエス様は私たちを贖い出してくださいました。言い換えると、イエス様は罪の奴隷である私たちをサタンの国から買い取って、解放してくださいました。

だから、私たちもアブラハムが受けた救いの祝福を受けることができます。私たちがしなければならないのは、ただ神様の約束を信じることです。

パウロは自らの議論をこのようにまとめています。

律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」からです。(11)

あなたはどうでしょうか。あなたはアブラハムの真の子孫でしょうか。イエス様を信じていますか。それとも、自分の良い行いによって神様に義と認められようと努力しているでしょうか。

神様を信じず、自分の資格によって義と認められようとする者は、誰も救われません。

あなたの救いは何に基づいているでしょうか。自分の努力に頼っていますか。それとも、神様に頼っていますか。

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